特別講師一覧

「月刊少年ジャンプ」で連載。今は拠点をヨーロッパ。 田村吉康氏

田村吉康さんは10代でデビューを果たし、月刊少年ジャンプで連載していたマンガ家であると同時に、画家としての顔も持っています。しかも、イタリア、フランス、オランダなど拠点をヨーロッパに置くことでグローバルに活躍しています。次々に新しいことに挑戦するパイオニア(先駆者)である田村さんですが、「パイオニアであることは楽だ。失敗が許される」と語ります。その柔和な表情としなやかな姿勢が非常に印象的でした。イタリアから一時帰国中に、東京都内のギャラリーで、田村さんにお話を伺いました。
現代の絵画が500年後に残る光景を想像しながら ヨーロッパを舞台にアーティスト活動に取り組む

開志専門職大学

田村さんのお仕事について教えてください。

田村吉康

月刊少年ジャンプに連載していたマンガ家です。今は、フランスの出版社に依頼されて、マンガの作画を担当しています。

田村吉康

日本のマンガを翻訳したものではなく、新たに描き下ろしたものなので、非常に珍しいケースだと言えると思います。

田村吉康

同時に絵画も制作している画家でもあります。

開志専門職大学

元々はマンガ家としてスタートした田村さんが、絵画にも取り組まれている理由とは?

田村吉康

絵画とマンガではコンセプトが違います。マンガは印刷して多くの読者に読んでもらうためのものですが、絵画は一点ものですね。

田村吉康

私としては、この1点しかない絵画が、おそらく500年後にも残るだろうということを想定して描いています。

田村吉康

残るだろう、と言うか、残ったらいいな、ということですね。

開志専門職大学

500年?

田村吉康

はい、私は今イタリアを拠点にしています。そして、マンガのスタジオがあるのは、フィレンツェの近くのルッカという所です。

田村吉康

フィレンツェと言えばルネッサンス発祥の地です。今年は2019年ですが、500年前の1519年、その年にレオナルド・ダヴィンチが亡くなっています。

開志専門職大学

おお、「モナリザ」のダヴィンチですね。

田村吉康

私は彼が活躍したルネッサンス時代とその少し前の時代がすごく好きなのです。

田村吉康

当時の絵画はモデルをそのまま描くというよりも、聖書にあるシーンを理想化して描いたものが多いんですね。

田村吉康

私が描く絵も理想化されたものなので、非常に近いものを感じます。そして、私が今描いている絵が500年後に残っている光景を想像しながら描いているん

15歳でマンガを描き始め16歳でジャンプの担当編集者が付く 「絵は下手すぎるがストーリーに可能性を感じる」

開志専門職大学

イタリアやルネッサンスに憧れるようになったのは何がきっかけですか?

田村吉康

16歳の時に両親に連れられてイタリアに旅行に行きました。1週間だけでしたけど、その時にシスティーナ礼拝堂で見たミケランジェロの『天地創造』や『最後の審判』にショックを受けました。

田村吉康

一人の人間の手による壮大な作品が現代に残っていることに感銘を受けましたね。

開志専門職大学

それがきっかけで、マンガを描き始めたのですか?

田村吉康

いいえ、マンガはイタリアに行く前、15歳の時に始めました。

田村吉康

元々マンガをあまり読んではいなかったのですが、中学生の時にたまたま読んだ岩泉舞さんという方の単行本にあまりにも感動して、自分でもマンガを描きたいと思いました。

田村吉康

それで、『ドラゴンボール』の鳥山明さんの本、『ヘタッピマンガ研究所』を参考に描き、それをジャンプ編集部に送ったんです。

田村吉康

そうしたら、すぐに担当編集者の方が付きまして。16歳の時でした。

開志専門職大学

すごい!

田村吉康

「絵は下手過ぎるが、ストーリーに可能性を感じる」というのが声をかけた理由だということでした(笑)。

田村吉康

自分のマンガを描きながら、マンガ家のアシスタント先を紹介していただき、18歳で大学に通いながら、アシスタントとして部屋の掃除をしたり、お弁当を買いに行ったり。

開志専門職大学

修行ですね。

田村吉康

ええ、その中で原稿を触らせてもらって、実地でマンガの描き方を学ぶんです。でも、今はデジタル化されているので、そういう昔の方法は通用しなくなりました。

田村吉康

私も今はこうしてiPadでマンガを描いています。昔は枠線をまっすぐにペンで描くことも重要でしたが、今はもうコンピュータでできてしまいます。

田村吉康

だから、アシスタントをしながら学ぶことがなくなって、今はマンガは学校で学ぶ時代になっていますね。

開志専門職大学

アシスタントを務めた後にデビュー?

田村吉康

はい、デビューしたのも18歳でした。

画家としてスイスのアートフェアでデビューするも 購入の注文がキャンセルされたことが渡欧のきっかけに

開志専門職大学

その後、月刊ジャンプで連載も持った田村さんが海外に出ることになったきっかけとは?

田村吉康

2011年にアーティストの村上隆さん(ブランドのルイ・ヴィトンとのコラボレーションなどでも知られる有名な現代美術家)が私の絵画に興味を示してくれまして。

田村吉康

絵画は当時は趣味で描いていて、pixivというネット投稿サイトに上げていたのを、村上さんが見つけてくれたんです。

田村吉康

連絡をくださって「描いた作品を全部見たい」と言われました。

開志専門職大学

村上さんからどのような評価を得たのですか?

田村吉康

「すべての要素が知的なジョークになっているのがいい。外国で受け入れられる可能性がある」と言われました。

開志専門職大学

それでヨーロッパに?

田村吉康

はい、最初はメキシコで、次にスイスのバーゼルのアートフェアに作品を出展しました。でも、もう私にしてみたらわけがわからない状況でしたね。

開志専門職大学

右も左もわからない?

田村吉康

スイスのバーゼルのアートフェアは世界で一番規模が大きいんです。私はそのフェアのサテライト展示会に参加しました。

田村吉康

そこでは、例えばアンディ・ウォーホル(ニューヨークを拠点に活躍した現代美術家)の何億円もする版画が開始15分で売れるんですよ。

開志専門職大学

田村さんの絵画はどうだったんですか?

田村吉康

そのフェアでは、一般公開前に、VIP用のプレビュー(イベント前の即売会)があるんですけど、そこでなんと出展した2点とも買い手がついたんです。

田村吉康

で、その時に村上さんに「もう売れたから、アートフェアの本番には出さなくてもいいね」と言われて、結局、フェアには作品を展示しませんでした。ところが。

開志専門職大学

ところが?

田村吉康

プレビューで入った注文がなんと最終日にキャンセルされてしまったんです。

開志専門職大学

え!

田村吉康

つまり、フェアの本番にも飾られず、注文はキャンセルされ、当時の私にとっては本当にわけがわからない一件になってしまいました。

開志専門職大学

なぜキャンセルされたんでしょう?

田村吉康

それを解明するためには、日本にいてはダメだと。ヨーロッパに来て住んでみることが必要だという思いに至りました。

田村吉康

それでまずは大学時代の知り合いがいたポーランドに行きました。さらに、高校の同級生のお父さんの幼馴染を頼りにイタリアに行きました。

開志専門職大学

同級生のお父さんの幼馴染?

田村吉康

そう、遠いですよね(笑)。全然知らない方でしたが。その方のところに押しかけました。

開志専門職大学

でも、それまでマンガ家として日本で活躍していたのに、拠点をヨーロッパに移すことに迷いはなかったのでしょうか?

田村吉康

マンガはすでにコンピュータで描く時代になっていましたし、日本にいる必要はなかったということと、ヨーロッパの方が、これから何が起こるかわからないという期待感にあふれていました。

田村吉康

面白そうだな、と。

イギリスの一流ファッションブランドとのコラボも大成功 フランスの出版社からオリジナルのマンガを発行

開志専門職大学

イタリアには何年から?

田村吉康

2013年です。その年、ルッカで開かれたルッカ・コミックス・アンド・ゲームスという日本の漫画とゲームをテーマにした大きなイベントのオフィシャルゲストに呼ばれたんです。

開志専門職大学

日本のマンガは大人気なんですね。

田村吉康

そうです。そのルッカでは、日本のマンガの専門学校に通っていたイタリア人とも知り合いました。しかも、彼らが教えている日本のマンガの学校がルッカにあるんですよ。

田村吉康

しかし、言葉の壁もあって、なかなか難しい状況ではありますね。

田村吉康

2014年には、そのフィレンツェの美術学校からも声をかけてもらい、半年くらい教えました。

開志専門職大学

イタリアに行ったことは吉と出たわけですね。

田村吉康

イタリアにいる間に、ロンドンのマッキュー・アレクサンダー・マックィーン(ファッションブランド)から話があって、そのブランドの洋服に私のマンガをプリントするコラボレーションの企画も実現しました。

田村吉康

洋服だけでなくバッグや靴にもなりました。それをアメリカのアーティストのリアーナが着てくれて話題になりました。

開志専門職大学

マックィーンは一流ブランドですし、リアーナも有名ですね。

田村吉康

マックィーンとのプロジェクトは、2014年の秋冬コレクションでした。さらにフィレンツェ市からも声がかかり、メディチリカルディ宮殿で個展を開催しました。

田村吉康

個展の開催とマックィーンとのコラボで2014年は忙しかったです。

開志専門職大学

ポーランドにイタリアにイギリスのロンドンとヨーロッパのいろんなところで活躍されているんですね。フランスの出版社からもオリジナルのマンガを出されていますし。

田村吉康

個人的にはオランダのアムステルダムの自由な雰囲気が好きです。フランスからは才能ビザ(優れた才能を持つアーティストに滞在資格を与えるビザ)も3年間発行されました。

田村吉康

でも、フランスは料理があまり口に合わないんです。そういう点ではイギリスもちょっと、、、

日本とヨーロッパでは「頑張る」ことの認識が違う 日本人の働き方は変わっていかなければならない

開志専門職大学

イタリアは?

田村吉康

イタリアはとにかく料理が美味しくて、友達もたくさんできたし、イタリア語の発音もカタカナっぽくて馴染みやすいですね。

田村吉康

それに、フランスにしてもイタリアにしても、彼らは非常に親日的ですよ。

開志専門職大学

イタリア人とコミュニケーションを取るときに気をつけていることは?

田村吉康

実は、今の私のアシスタントたちはイタリア人なんです。ルッカのマンガの専門学校で教えている人が、私のアシスタントをやってくれています。

田村吉康

彼らとのやりとりで気をつけているのは怒らないようにすることです。

開志専門職大学

どういうことでしょう?

田村吉康

やはり日本とヨーロッパでは「頑張る」という認識が違うんですよ。日本のマンガ家にとっては、「頑張る」というのはかなり命がけのことなんです。

田村吉康

でもフランス人はバカンス(休暇)を大切にするし、休むために働いているようなところがあります。

田村吉康

だから日本的な「命がけで頑張る」ということがまったく通用しないんですよね。

開志専門職大学

相手が変わらないなら自分を変えるしかない?

田村吉康

そうです。日本人の働き方も今後変わっていかなければいけないと思います。

田村吉康

それから、コンピュータでマンガを描けるようになって、アシスタントともネットで繋がっていれば、必ずしも同じ場所で作業する必要はないので、

田村吉康

今後、私としては住むのに快適な国に滞在しながらマンガや絵画を描き続けていこうとも考えています。

開志専門職大学

マンガ家としてヨーロッパに移住したり、絵画も始めたりと、田村さんはパイオニア(新しいことを始める先駆者)ですね。

田村吉康

パイオニアであることは実は楽なんです。

田村吉康

なぜなら、他の人がまだ挑戦してないことをやるわけだから、失敗しても許されるからです。失敗しても最初だから仕方ないと。

環境を変えることで違うやり方に気づける 海外に出ることで選択肢を広げてほしい

開志専門職大学

海外で仕事をすることの醍醐味やメリットとは?

田村吉康

日本にいるととても便利ですよね。おそらく住みやすいのは日本だと思います。

田村吉康

でも、私はイタリアやオランダといった外国に行くことで、環境を変え、物の見方を変えることができています。

田村吉康

日本の固定観念に縛られず、日本とは違うやり方に気づくことができるのです。

田村吉康

それに私が好きなルネッサンスの作品は、天井画だったり壁画だったりして、そこから動かせないものがほとんどです。だから私がそこに行くしかありません。

開志専門職大学

さて、田村さんご自身はどういう子どもでしたか?

田村吉康

群馬の自然に恵まれた環境で育ったんですが、外で遊ぶタイプではなくて、絵を描いたり本を読んだりしていました。大学は推薦で群馬大学の教育学部に進みました

開志専門職大学

そして、大学生時代はすでにプロのマンガ家だったんですね。

開志専門職大学

それでは、高校生へのアドバイスをお願いします。

田村吉康

まず、高校までの勉強をしっかりやっておくことですね。あと、自分自身のことを否定しないでほしい。それから選択肢は広い方がいいと思います。

田村吉康

海外にはぜひ出ていただきたい。日本のパスポートは非常に優秀です。ビザ(入国・滞在許可)なしで行ける国がとても多いので、活用しない手はないです。

開志専門職大学

世界中で活躍している田村さんの言葉だけに、パスポートのお話は説得力がありますね。

開志専門職大学

では最後に、田村さんが開志専門職大学で教えられること、教えたいことは何ですか?

田村吉康

最新のマンガの描き方を教えることができます。

田村吉康

それから日本だけにいる必要はない、外国に出ることで可能性が広がり、こんな素晴らしいことがあるんだということも、実例を交えながら是非お教えしたいですね。

特別講師 田村吉康氏

1977年群馬県生まれ。1997年「月刊ジャンプオリジナル」3月増刊でマンガ家デビュー。2003年から2004年まで「月刊少年ジャンプ」で『筆神』連載。2011年以降、世界各地のアートフェアに絵画を出展。2012年、ポーランドのアダム・ミツキェビチ大学で、2013年にはイタリアのフィレンツェ大学で特別講義を行う。2014年はイタリアに転居、2015年にはフランスへ転居、2017年オランダに転居した後、2018年、再びイタリアに転居。現在フランスの出版社から発行中のマンガ「DEVIL’s RELICS」の作画を担当。

インタビュー:福田恵子
撮影:山田美幸
動画:梶浦政善

タップして進む タップして進む