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制作に携わったスパイダーマン:スパイダーバースはアカデミー賞受賞作! 島田竜幸氏

2019年、「スパイダーマン:スパイダーバース」は、長編アニメーション部門でアカデミー賞を受賞しました。大きな話題となった、このアニメーション作品に日本人のアーティストが関わっていたことをご存知でしょうか?幼い頃、父親と一緒に見た「スター・ウォーズ」の世界に憧れ、ハリウッド映画に携わりたいと、大学とコンピュータグラフィックスの専門学校をダブルスクールで卒業し、日本、台湾、カナダと確実に段階を積み重ねて海外へ転職した島田竜幸さんがその人です。世界中から集まった移民の街、エネルギッシュな雰囲気のカナダのバンクーバーで島田さんに話を聞きました。
ステップアップ目指して、日本から台湾、カナダへ移住 携わった「スパイダーバース」はアカデミー賞受賞!

開志専門職大学

島田さんのお仕事について教えてください。

島田竜幸

僕がやっているのは映画製作の中でも、コンピュータグラフィックスを使って3Dのキャラクターを動かしたり合成をしたりする、ビジュアルエフェクト(VFX)という分野です。

島田竜幸

日本語で言うと、視覚効果ですね。

島田竜幸

最近の作品ではアニメーション部門で2019年のアカデミー賞を受賞した「スパイダーマン:スパイダーバース(以下「スパイダーバース」)に関わりました。

島田竜幸

この作品に参加できたことは非常に誇らしいことだと思っています。僕はタコのようなドクター・オクトパスが主人公と闘うパートを主に担当しました。この仕事には1年くらい掛り切りでした。

開志専門職大学

カナダのバンクーバーで働いているんですね?ハリウッド映画と言っても、今はカナダのバンクーバーやイギリスのロンドンで制作されているケースが多いと聞きましたが、

開志専門職大学

島田さんの会社、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークスも、カナダの西の玄関口であるバンクーバーの中心街にありますね。どんな会社ですか?

島田竜幸

ハリウッド映画には大きく分けて、実写系VFX作品(「スター・ウォーズ」など)とアニメーション作品(「トイ・ストーリー」など)の2種類がありますが、

島田竜幸

その両方の作品に関わっている事が、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークスの強みですね。

島田竜幸

僕自身、カナダで勤める会社はここで2社目なんです。その前は台湾の会社、さらにその前は日本で働いていました。

島田竜幸

僕らの業界ではステップアップ、会社を移りながらキャリアアップしていくのが一般的です。

島田竜幸

転職活動には自分の履歴書と、これまで携わったパートを1、2分にまとめたデモリールを提出します。

開志専門職大学

東京、台湾、そしてカナダと移住してきたということですね。そして働いているのはカナダですけど、実際はハリウッド映画を作っている、と。

島田竜幸

そうです。CGの勉強を始めた時から、いつかはハリウッド映画に挑戦したいとずっと思っていましたから。

開志専門職大学

転職の情報はどのようにして入手するんですか?

島田竜幸

今は情報のやり取りが、LinkedIn(リンクドイン)、Twitter(ツイッター)などで活発なんです。

島田竜幸

アーティストの間でも、こういうプロジェクトが始まるといった情報が交換されています。

父親が大ファンだった映画「スター・ウォーズ」がすべての始まり ダブルスクールでCGの専門学校と大学を同時に卒業

開志専門職大学

もともと、どうしてこの業界を目指すことになったのでしょうか?そもそものきっかけは?

島田竜幸

子供の頃に観た「スター・ウォーズ」ですね。父親があのシリーズの大ファンなんです。エピソード4、5、6から見始めたんですが、すごくかっこよかったです。

島田竜幸

子どもでもわかりやすかったし、ライトセーバーのチャンバラのシーンとか、男の子心をくすぐる作品でした。さらに父親と「ジュラシックパーク」だとかいろんなハリウッド映画を一緒に見に行くのが好きでした。

島田竜幸

まあ、でも中学、高校までは普通の子どもで、自分でこれを仕事にするとは想像もしていませんでした。

開志専門職大学

どんな中学生、高校生でしたか?

島田竜幸

高校大学時代はラグビーしかしてなかったです。中学の頃は陸上と剣道に打ち込んでました。

島田竜幸

運動が得意な少年、科目で言うと体育と図工が得意でした。それで普通に高校を出たら大学に進む流れに乗った感じです。

開志専門職大学

どちらの大学に?

島田竜幸

東京電機大学です。理工学部の情報メディア学科でCGをやる学科でした。

開志専門職大学

今の仕事とつながっていますね。

島田竜幸

高校3年の頃は特に目的もなく、なんとなく大学受験をしたんですが、3年間ラグビーしかしていなかったので、どこの大学も受からず浪人したんです。

島田竜幸

それで、浪人時代に予備校に行くために電車に乗っていたら、あるつり革広告が目に止まったんですね。「目指せハリウッド映画!」のようなうたい文句のCG専門学校の広告でした。

島田竜幸

それを見たら、どうしてもその専門学校が気になって、そのまま予備校に行かずにその学校に直接、話を聞きに行ったんです。

開志専門職大学

フットワークが軽い!

島田竜幸

広告のことは強烈に覚えていますけど、今はもうその専門学校の名前も忘れてしまいました(笑)。

島田竜幸

その学校に訪ねて行って、どういう勉強をするのか、将来どういう仕事につけるか聞いたら、もうどうしても通いたくなってしまいまして。

島田竜幸

それで親に「大学に行くんじゃなくて、この専門学校でこう言う勉強をしたい!」と訴えました。

開志専門職大学

そうしたら?

島田竜幸

「とりあえず大学は出ておけ」と言われまして、CGのことが勉強できる大学を調べて、東京電機大学に進学しました。

開志専門職大学

親御さんのアドバイスを受け入れたのですね。

島田竜幸

はい。あの専門学校にはいきませんでしたが、あのつり革広告のおかげで自分がどんな事を勉強したいのか気づく事が出来て、目的を持って大学受験をする事ができました。

島田竜幸

大学に入学して、これでCGが学べる!と楽しみだったんですが、あまり実践的ではなかったと言うか。僕自身がやりたいこととは違ったので、大学の設備を自由に使わせてもらって独学していました。

島田竜幸

でも、行き詰まってしまって、やはり専門学校に行きたいと思うようになりました。

島田竜幸

そこで、自分で改めて色々調べて2つの専門学校を選びました。その中から卒業生の作品にインパクトを感じた方の学校に決めて、親に「大学を辞めて専門学校に行きたいんだけど」と相談しました。

島田竜幸

そうしたら、その時すでに大学3年だったので、「大学は卒業したら?」と言われたんです。

島田竜幸

でも、僕は浪人もしていたし、大学卒業してから専門学校に行ったら業界に入るのが遅くなってしまうと不安になり、ダブルスクールに挑戦することにしました。

3社から声をかけられて制作会社に自信満々で入社するも プロの世界の厳しさに直面し、打ちのめされる

開志専門職大学

大学と専門学校に同時に通ったんですね?すごいですね。就職活動はどのように?

島田竜幸

専門学校の卒業制作発表を見にきていた会社、3社から声をかけていただき、ポリゴン・ピクチュアズという所に就職が決まりました。いわばドラフト制度ですよね。

開志専門職大学

ダブルスクールまでして、CGの仕事に就きたいと目指していた夢が叶ったのですね?

開志専門職大学

実際に働き始めてどうでしたか?思っていたような仕事でしたか?

島田竜幸

楽しかったです。でも、僕、3社から声をかけてもらって入社したので、割と自信満々で働き始めたんですけど、入社後に打ちのめされましたね。

開志専門職大学

プロの世界は厳しいということだったんですか、やっぱり?

島田竜幸

先輩や上司に「素人くせえな」って言われたこともあったし、相当ショックでした。僕の態度もあんまり良くなかったのかもしれません。生意気だったんですよね。

島田竜幸

当時の先輩や上司に日本で会うと、そう言われます。(苦笑)。でも今は僕、頑張っているっぽいです(笑)。

開志専門職大学

ところでなぜ、台湾の会社に移ったんですか?なぜ台湾だったのですか?

島田竜幸

「クローン・ウォーズ」という「スター・ウォーズ」のテレビシリーズの制作に関わったのがきっかけです。その作品の受注を、先輩たちが苦労して取ってきたんです。

島田竜幸

僕は当時新人でしたけど「参加させてください」としつこくお願いした結果、その熱意が認められてチームに入れてもらえました。

島田竜幸

何と言っても「スター・ウォーズ」ですから最高に楽しかったです!ところが、その仕事、うちの会社が担当できたのは1年間だけでした。

島田竜幸

その後はシーズン1からずっと制作に関わっていた台湾の会社にすべての制作ラインが移ってしまいまして。

島田竜幸

そうしたら、もう、その台湾の会社に自分も行くしかない、ということで、その会社に連絡をして「僕、クローン・ウォーズやってきたんで、ぜひ入れてください」とスカイプの面接で訴えました。

開志専門職大学

何語の面接だったんですか?

島田竜幸

英語でした。台湾は中国語の国ですがこの会社は、ハリウッド作品を扱っていたので英語で仕事をしていました。

やりたい仕事を追いかけて台湾に転職 言語に限界を感じつつも、台湾人の海外志向に影響受ける

開志専門職大学

留学のご経験は?

島田竜幸

幼稚園から小学1年生にかけて1年間だけ、父の仕事の関係でロサンゼルスに住んでました。全然英語は話せていませんでしたが。でも、友達は大勢できて楽しかったです(笑)。

島田竜幸

中学高校と、ずっと英語の勉強は嫌いでしたが大学時代に英語のグループレッスンを受講する機会がありました。

島田竜幸

ネイティブの先生1人に対して5、6人の生徒という構成で、簡単な英会話の練習をしたんですけど、その時は英語が楽しいと感じました。

島田竜幸

ポリゴン・ピクチュアズに入ってからは外国人の社員も多かったので、英語で積極的にコミュニケーションを取ってました。

開志専門職大学

では、英語のベースがあったということですね。それで、台湾の会社の面接に合格したんですね?

島田竜幸

はい。ところが。

開志専門職大学

ところが?

島田竜幸

仕事は英語でできるんですけど、生活するには台湾は中国語が必要で、それが結構大変でした。全然覚えられなかったし。

島田竜幸

僕としては「クローン・ウォーズ」の仕事に関わりたいということで移住したので、台湾のことを全然知らずに行ってしまったんですよ。

島田竜幸

さらに、仕事するには英語がすごく必要で、それまで日本で外国人の社員と気軽に話していたので「自分は英語ができる」と思い込んでましたけど、

島田竜幸

台湾でいざ働き始めてみると、込み入った話ができないし、「俺、全然、英語話せない!」ということに気づきまして。。。

開志専門職大学

それでどうしたんですか?

島田竜幸

まず英語で日記を書き始めました。それが意外と使えたんですよ。次の日のランチの時にこれを英語で話そうと準備して、書いたままを話すんです。

島田竜幸

それが受けると手応えを感じることができて、ずっと英語の日記は続けましたね。それで英語の言い回しが増えて英会話に自信がついていきました。

開志専門職大学

台湾の人とやり取りして何か感じることはありましたか?

島田竜幸

皆、台湾からいろんな外国に留学していたりと、海外志向なんですよ。国が小さいから目が外に向いているようです。そういう点が日本と違うなあ、と感じました。

島田竜幸

それで自分も影響を受けるようになって、ハリウッド映画に関わりたいという気持ちがさらに募るようになりました。

島田竜幸

台湾で働きながら、機会を伺って、ハリウッド映画制作会社に履歴書とデモリールを送り続けていました。そうしたら、今の前の会社の採用担当者から連絡がきて、「すげー!ついに来たー!」と。

島田竜幸

でも、カナダだけじゃなくて、ロンドンの会社からもほぼ同時に連絡が来たんです。同時進行でしたが、カナダの方が(採用の)進みが早かったということで、カナダに来ました。

ハリウッド映画制作の現場、バンクーバーへ遂に上陸 大スクリーンに自分の名前が映し出され、幸せを噛み締める

開志専門職大学

遂にハリウッド映画の現場に参入ですね。それはいつ?

島田竜幸

2017年1月でした。その会社には1年弱いて、すぐに今の会社で「スパイダーバース」をやるという情報が入って来たので、これはもうやるしかないと、積極的に転職しました。

開志専門職大学

東京から始まり、台湾を経由して今や「スパイダーバース」でアカデミー賞を受賞した作品に関わって、業界のど真ん中にいる島田さんですけど、それはどんな時に実感しますか?

島田竜幸

自分のパソコンの画面にスパイダーマンがいて、その作業をしている時ですね。これが映画になるんだって思うとテンションが上がります。

島田竜幸

それから映画館での上映時にも実感しました。自分が担当したシーンが大きなスクリーンに映った時、さらに最後のエンドロールで自分の名前がスクリーンに映し出されると本当に気分がいいです。至福の時ですよね。

島田竜幸

このために自分はやってきたんだって。作品に関われる幸せを噛み締めます。

開志専門職大学

それでも完成までの苦労は大変なものなのでは?

島田竜幸

そうですね。何度も修正指示が入って作り変えなければなりません。

島田竜幸

僕たちの仕事をまずリードという役職の人、さらにスーパーバイザー、そしてディレクターとどんどん上の人がチェックしていくんですけど、

島田竜幸

「スーパーバイザーのオーケーが出た」とホッとしても、一番上のディレクターのオーケーが出ずに、振り出しに戻ることも珍しくありません。ディレクターがノーと言えばノーですからね。

開志専門職大学

それでもコツコツ、修正作業に取り組めるモチベーションになっているのは?いつでも素直に受け入れられるものですか?

島田竜幸

上からの修正指示に対して「え?」と思うこともあります。(苦笑)でも、その修正指示というのは的確で、作り直して見てみると本当に良くなっていると感じます。

開志専門職大学

さて、カナダのバンクーバーでハリウッド作品に携わっている島田さんですが、現在の環境は働く場所としてはどうですか?

島田竜幸

非常に働きやすいですね。ほぼ残業もなく定時で帰ることができます。でも今は、実写版の「スパイダーマン」(今夏公開)の仕事が締め切りに近づいていて、普段より忙しいです。しばらくは残業が続きそうです。

開志専門職大学

カナダという国はどんな所ですか?

島田竜幸

移民の国なので、いろんな国から来た人が集まっています。いろんな国から来た人と知り合えたり、友達になって話ができるのが楽しいですね。

島田竜幸

自分は本当に人と関わるのが好きなんだなと思います。

学生には「興味が出てきたことにはがっつりはまってほしい、 そうすることで自分のやりたいことが見つかる」と伝えたい

開志専門職大学

海外生活で困っていることはないですか?台湾では中国語でご苦労したようですけど、英語が使えるカナダではどうでしょう?

島田竜幸

仕事に関しては完全に自分の希望とマッチしていて楽しいです。

島田竜幸

ただ、自分は「スター・ウォーズ」がきっかけで今のような仕事をしたいという目的で海外に出て来たわけで、海外に住みたいと思っていたわけではないんです。

島田竜幸

友達も家族も皆、日本にいますしね。英語もどんなに話せるようになっても、自分にとっての母国語は日本語です。やっぱり日本がいいなとは正直、思います。

開志専門職大学

島田さんはご結婚されているんですね。

島田竜幸

はい、週末は妻と過ごすことが多いです。妻とは、日本にいる時にダンスで知り合いました。

開志専門職大学

ダンス?

島田竜幸

はい、よさこいです。よさこいのチームメイトなんです。二人ともお祭り好きで、両親からはお祭り夫婦と言われています(笑)。

島田竜幸

僕が台湾に行った後に3年間遠距離恋愛を経て結婚しました。結婚式の時には父がスピーチで「自分が見せたスター・ウォーズがきっかけになって、今、こんな仕事をするようになって世界へ飛び出していくとは思ってなかった」と話していました。

開志専門職大学

そうでしたか。好きな仕事ができて奥様と一緒の生活、ご両親も活躍ぶりを喜ばれていて最高ですね。

開志専門職大学

さて、海外に住んで働いたことを通じて見えてきた日本人の良さとは?

島田竜幸

真面目さ、だと思います。仕事をきっちりこなすことです。海外では割とアバウトな人も多いので(笑)。

開志専門職大学

最後に、大学4年間でやっておくべきことを、今の高校生にアドバイスしてください。

島田竜幸

興味が出てきたことにがっつり時間をかけて取り組んでほしいと思います。僕も好きなことしかしてなかったですが、一生懸命やっていました。

島田竜幸

ラグビーもがっつり、CGの勉強にもがっつり取り組みました。ミシンがしたくてユニクロでのバイトもがっつりやりました。

島田竜幸

興味出たらハマってみることをお勧めします。そうすることで自分がやりたいことが何なのか見つかるはずです。

開志専門職大学

開志専門職大学での特別講義ではその体験談を話していただけるのでしょうか?

島田竜幸

僕もまだ道半ばですが、一生懸命やればきちんとステップアップしていけることをお話ししたいです。

島田竜幸

さらに「スパイダーマン」の制作上での裏話、楽しかったことや苦しかったことを色々とお話しさせていただきます。

開志専門職大学

それはとても楽しみです。是非宜しくお願いします!

特別講師 島田竜幸氏

1984年埼玉県生まれ。東京電機大学とWAOクリエイティブカレッジをダブルスクールで卒業。日本国内のスタジオを経て台湾のCGCG Inc.に転職。2017年1月、カナダのMPCへ、さらに同年11月にソニー・ピクチャーズ・イメージワークスに入社し、長編アニメーション部門でアカデミー賞を受賞した「スパイダーマン:スパイダーバース」の制作にアニメーターとして携わる。趣味はラグビー。現在、カナダのバンクーバー・ダウンタウンに日本人の妻と在住。

インタビュー:福田恵子
撮影・動画:鈴木香織

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