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「英知のたまり場」と言えるのが大学。そうした素晴らしい環境の中、学生に「人生への自信」をつけてもらうことが究極の私の仕事。 大内二三夫氏

ワシントン州シアトルにメインキャンパスを構える大規模な州立総合大学、ワシントン大学。1861年に創設された米国西海岸で最も古くからある名門大学の一つとして、「パブリックアイビー」(すぐれた州立大学の総称)と呼ばれています。ここで長年、工学部物質材料工学科の教授として教鞭を執ってきた大内二三夫先生に、実りのある学生生活を送るためのアドバイスをしていただきました。
ここ2〜3年で宇宙旅行の商業化で宇宙が身近に。そんな地球と環境の違う宇宙空間での材料の機能を長年研究。

開志専門職大学

大内先生のお仕事について教えてください。

大内二三夫

私はワシントン大学の工学部物質材料工学科の教授です。特に宇宙空間などの極限状態における材料の機能、つまり材料を極限の状態に持っていったとき、それらがどれだけ耐えられるかなどについて研究をしています。

開志専門職大学

何だかスケールの大きいお仕事ですね。

大内二三夫

ここ2〜3年、ちまたでは宇宙旅行の商業化の話が多く聞かれますよね。「ブルー・オリジン」とか「スペースX」とか。今まで考えられなかった宇宙旅行の商業化で、確実に宇宙が身近になりました。宇宙は地球とかなり環境が違い、地球上では考えられないようなことが日常的に起こっているため、地球と同じ物質がそのまま宇宙で使えるかどうかは分からないのです。

開志専門職大学

同じ物質が使えないのですか?

大内二三夫

宇宙で使われる材料は、今まで地球で使われていた材料で代用できるのですが、やはり宇宙に特化したような物質があってもおかしくはない。そのためにはいろいろな基礎的なデータを知る必要があり、将来に備えて長年研究を続けています。この2、3年で宇宙旅行の商業化が進んできたので、実際に宇宙に特化した物質が使われるようになってきました。非常に面白い研究だと思いますよ。

「学びたい人」「学ぼうとしている人」が渦巻いているのが大学。大学とはそんな人々と知識を共有し、知らないことを学べる最高の場所。

開志専門職大学

アメリカで大学教授をされていて常に感じることは何ですか?

大内二三夫

大学っていうのはすごい所だということです。何がすごいかっていうと半径数百メートルくらいの中にいろんな人がひしめき合い、「英知のたまり場」になっていることです。

開志専門職大学

確かに知恵と知識の宝庫ですね。

大内二三夫

私の持つ知識など微々たるものですが、大学でなら分からない事があっても誰かが必ず知っているし、頼めば教えてくれる。学びたい人、学ぼうとしている人が渦巻いている。そんな人と接して自分の知っている事を共有し、知らない事を学べる最高の場所が大学です。

開志専門職大学

最高の場所である大学での大内教授の役割は何ですか?

大内二三夫

そうした素晴らしい環境のもと、学生に「人生への自信」をつけてもらう事が究極の私の仕事だと思っています。

着実にヒットを打つ「優等生タイプ」と三振かホームランと極端な「じゃじゃ馬タイプ」に分かれる大学生。人から好かれ出世するのは「じゃじゃ馬タイプ」。

開志専門職大学

先生が教えた中には、いろんな学生がいたでしょうね。

大内二三夫

学生には「優等生タイプ」と「じゃじゃ馬タイプ」の二つのタイプがあります。

開志専門職大学

どう違うのですか?

大内二三夫

優等生タイプは賢くて基礎的な知識を持ち、本や文献をよく読み、相談して決めたことを着実に遂行する。ただし、その事を済ませると「先生、次何しましょうか」って聞いてくる。 先を見通す能力はあるのですが、やっても無駄な事はあんまりやりたくないっていうのがすぐ分かっちゃう。優等生って野球で言えば着実にヒットを打つのですが、必ずしもみんなにうまく受け止められるわけではないですね。

開志専門職大学

ちょっと面白みがないかもしれないですね。

大内二三夫

人とうまくいかないことも多々ありますね。それに対してじゃじゃ馬タイプは、もうとにかく寝る時間を惜んで、がむしゃらにやる。だからあんまり調べない。一つのことを済ませると自分で何かやってみる。「先生こんなのが出ましたよ、面白いでしょ」って。でも的外れが多いんですけどね(笑)。

開志専門職大学

先走るんですね。

大内二三夫

ところが、たまにそういう学生が出してくるものに考えもしないものが出てくる。あんまり周りの状況を見ないもんだから、自分がいいのかどうかも分からないけど独創的にやっちゃう。「やってみなきゃ分からない」っていうのが根底にある。じゃじゃ馬タイプは三振かホームラン。でも、そういう学生って楽しいから人から好かれ出世しますね。

開志専門職大学

先生自身はどちらのタイプで、どんな子どもだったんですか?

大内二三夫

私はどっちかっていうとじゃじゃ馬。何でもやりたかった。私が育った頃はゲームなんかなくて、自分が作らなきゃ何もない。物がないから自分で何でも作っちゃうような子どもでした。

開志専門職大学

何に夢中でしたか?

大内二三夫

ラジオ作りに夢中になって、ラジオの電気回路を見よう見まねで書いていました。のめり込んでやればやるほど面白くなって、CQハム無線機を作って世界と交信するなどしていました。

「忙しい」を言い訳にせず、子どもの頃のワクワクを思い出してやってみよう。それが大学の授業に関係なくても、必ずつながり人生の突破口になる。

開志専門職大学

大学時代はどのように過ごされましたか?

大内二三夫

私が大学生の頃は学生運動が盛んで、社会も大学も混乱していた時代でした。だから最初の2年間は休講も多く大学閉鎖も。3年生になって勉強が面白くなって、論文を書いてみたいと思いました。その頃、確かフランスの数学者だったか物理学者だったかが、とても長い表題をつけて出版することが流行っていました。それを「かっこいい」と思って。つまらない動機ですが、「俺もこんな論文を書いたら面白いかな」って。

開志専門職大学

かっこいいものにあこがれる大学生(笑)。

大内二三夫

そうです。その当時、興味のあった量子力学についてめちゃくちゃなことを書いて教授に提出しました。そういう自由な時間が当時はあったんですよね。

開志専門職大学

いろんな事をやるゆとりがあったんですね。

大内二三夫

今の学生は私の頃の2倍以上大学で勉強するようなカリキュラムが組まれている。だから無駄な時間を過ごせない。それって恐ろしいことだし、かわいそうなことです。

開志専門職大学

では、そんな忙しい大学生に、学生時代にやっておいたほうがいい事って何でしょうか。

大内二三夫

いくら忙しくても、自分で興味を持ったことを自分のペースでやることを学んでください。まず己を知るために、サッカーでもピアノでもいいから、子どもの時に何が一番長続きして、ワクワクしたのか思い返してください。ワクワクする事とは、結局のところ自分にとって得意で上手な事。それを見つけてやってみて、誰にも負けないという自信を持つことが大事です。

開志専門職大学

「好きこそ物の上手なれ」ですね。

大内二三夫

それって今、大学で学んでいる学科には関係ないように思えるかもしれませんが、関係ないという事は絶対になくて、みんなつながっている。それが一つの人生の突破口となる可能性があるんです。

開志専門職大学

教授が見てきて、伸びる学生はどんな学生ですか?

大内二三夫

コミュニケーション力のある学生です。学生時代、私が変な長い論文を書いたのは、書いている題材を通して教授と普通に話す以上に話したいという気持ちがあって、その論文で教授とコミュニケーションを取ろうとした結果です。私の場合はその手段が論文でした。そういう多様な形でのコミュニケーション能力が学生に求められています。

開志専門職大学

他に伸びる学生の特徴は?

大内二三夫

レスポンス(返信)が速い学生ですね。アメリカは特にレスポンスが遅いと取り残され、相手にされなくなります。「忙しい」と言い訳をせず、時間をうまく使ってほしいですね。また、ポジティブでチャレンジ精神があることも大事。引っ込み思案はダメですよ。またボランティア精神も必要です。「人のために」というだけでなく、無駄だと思えてもいろんな事を一生懸命にやる。そういう精神が自分の世界を広げます。以上のことを考え行動すると実りのある学生生活が送れると思いますよ。

開志専門職大学

なるほど。他にも大学時代に習得してほしいことはありますか?

大内二三夫

大学のような高等教育を受けると、まず人の話をよく聞き、自分の考えを共有していける能力を育てることができます。 例えば、このコロナ禍でワクチンの接種やマスク着用などで、全く相反する意見でお互いに怒鳴り合っている姿をニュースなどでよく見かけますね。

開志専門職大学

はい、よく見かけました。

大内二三夫

そんな人たちは、人の話を聞こうとしないし、正しい知識を持つ事への冷静さに欠けている。何が正しいかを見極めることができないのでしょう。コロナのように誰も体験したことのない事態に直面したときに、どのようにちゃんとした判断ができるのか。そういう判断力を獲得する準備期間が大学時代だと思います。

開志専門職大学

日米で大学生を見ていて感じる違いはありますか?

大内二三夫

アメリカの学生の方がリーダーシップがあり、より具体的に自分の考えを言葉で表現することに慣れている気がします。どちらの学生にも自分の理念をもっと追及して、「私はこうです」と明言できるような学生になってもらいたいですね。

開志専門職大学

特別講師としてどんなことを話していただけますか?

大内二三夫

大学で学ぶ意義とそれがどうやって自分の将来につなげていけるかということについての話ができたらと思います。

人生の第一楽章にいる大学生に伝えたい事は一つ。それは「知識を増やして欲しい」という事。

開志専門職大学

今後の先生のご予定は?

大内二三夫

今、人生は100年時代って言いますよね。100年って長いけども、4で割ると25年単位。 私の人生の第一楽章(最初の25年間)は日本で、そして第二、第三楽章の50年間はアメリカで過ごしました。第四楽章となる75歳からは再び日本で過ごそうと計画しています。

開志専門職大学

それぞれの楽章に意味があるのですか?

大内二三夫

第一楽章は準備期間です。一年生、二年生の大学生は第一楽章の真ん中過ぎですね。そして三、四年生でその準備期間のクライマックスに達します。自分の準備した成果を確認して大学を卒業し、第二楽章という新しい世界に入ることになるでしょう。始めは模索ですが、やがて発展しエネルギーを得て第三楽章に繋がります。第三楽章(50〜74歳)は人生で最も充実した時代。 そしてその後、第四楽章に入るわけです。これが繰り返されるのが人生だと思うのですが、私は最終章で再び新しい挑戦をして、自分のまとめにしたいと思っています。

開志専門職大学

先生の経験から、どのようなことを第一楽章にいる大学生に伝えたいですか?

大内二三夫

皆さんにお伝えしたい事は、「知識を増やしてほしい」という事。でもそれは全ての楽章で共通です。知識があることによって、物の考え方が広がりますから。

開志専門職大学

知識があればあるほどいろんなことにチャレンジできそうですね。

大内二三夫

知識量が増えれば、いろいろな事の関係が分かってくる。研究にしても日常生活にしても応用が効く。最近Diversity(多様性)という言葉がよく聞かれます。それは年齢、性別、人衆、宗教、趣味嗜好の多様さを意味する事を指しているようですが、「知識」にもDiversity があります。

開志専門職大学

知識のDiversity(多様性)とはどういうことですか。

大内二三夫

いろいろな事を知るというのが「知識のDiversity」。それらを理解し、いろいろな知識を平等に取り入れる。すなわち「知識のInclusion(包括、包含)」となります。学生には、今年より来年の方がより多くの知識を身に付け、それを使っていくという事を目標にしてほしいですね。

開志専門職大学

先生の新しい第四楽章での挑戦は何ですか?

大内二三夫

私の今までの研究は物質の極限状態での挙動を見ていくことでしたが、「極限」とは何も物理的な事ばかりであはりません。例えば究極の音とか、素晴らしい音色も極限です。そこで、なぜそうしたことが起こるのかと考えたら、これは今まで考えた事のなかったような極限の世界、すなわち人間の感覚が関わる新しい極限の世界があるかもしれないと考えたのです。それなら「そんな極限をやってみよう」と思い来年の退職を機にバイオリンを作ることにしました。

開志専門職大学

バイオリン作りなんて驚きです。

大内二三夫

「ストラディバリウス」のバイオリンは究極の音色を出せるとよく言われますが、そんな極限はどうして起こるのかということを知りたいと思います。そのためにはバイオリンの作り方を1から習ってみようと考えました。それが私の第四楽章の幕開けで新しい人生の始まりです。アメリカから日本の長野県の松本に移住して、バイオリン作りの師匠に丁稚奉公をして学ぼうと決めました。全く新しい体験で私の第四楽章はまさに新世界です。

開志専門職大学

大きな決断ですね。

大内二三夫

コロナは社会を変え、人々の暮らしを変え、大変な影響を与えています。ただ私の場合はこのコロナでの自粛生活が新しい発見につながりました。コロナに限らず、環境はどんどん変わります。それに文句を言ってもしょうがない。それに対応する素養と知識、そして新しい可能性に挑戦する気構えを身に付けることが人生の教育ではないでしょうか。

開志専門職大学

コロナ禍を良い方向に発展させていることがすごいと思います。

大内二三夫

もともとあまり悪いことを考えないようにしています。良いことを考えるのが私のモットー。こうしておけば良かったとネガティブにとらえず、こういうことができた、こういうことにつながったとポジティブに考えます。悪いことを良いことに切り替えられる。その方が気楽ですよ。

開志専門職大学

私も先生のように前向きな考え方を心がけたいと思います。本日はありがとうございました。

ワシントン大学工学部物質材料工学科教授
特別講師 大内二三夫氏

東京都出身。1974年に上智大学理工学部物理学科で修士号を取得し、日本の企業に就職。フロリダ大学の大学院に留学し、1981年に博士号取得。同年に世界的な化学会社デュポンに入社し、同社の研究所に10年以上勤める。1992年にワシントン大学教授に就任。2015年より東北大学各員教授。ワシントン州シアトル郊外在住。

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