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世界最大の宅配ピザチェーン 仕事の進め方を伝えます。 小田 寛氏

外食産業はもっと成長する。サラリーマンとして出世する方法を伝えたい
開志専門職大学で講師を務める日本ピザハット・コーポレーション株式会社 コーポレート部 部長、小田寛さんに、高校から大学時代、そして社会人生活のお話を伺いました。 また、開志専門職大学で学生たちにどのようなことを伝えたいのか、高校生にやっておくべきこともお聞きしました。
部活とバイトに熱中していた高校時代

開志専門職大学

高校はどちらに?

小田寛

生まれは京都です。京都には同志社という大学があるのですが、その大学の付属校のひとつ、同志社香里中学校・高等学校に中学から通っていました。

小田寛

学校は京都ではなく、大阪の寝屋川市というところにあったので、毎日、1時間半かけて電車で通学していました。

開志専門職大学

高校での思い出はなんでしょう?

小田寛

中学と高校でバレーボールをやっていたことですね。大学受験の必要はないし、当時は男子校だったので恋愛もなく、ひたすらバレーボールに熱中していました。

小田寛

他にも音楽を聴いたり、ゲームをしたり。ナイキのエアマックスが流行ったらそれを履いてみたり。学校は私服で、みんなトレンドには敏感でした。

開志専門職大学

普通に友達と遊んだり?

小田寛

そうですね。部活がほとんとでしたが、たまにみんなでボーリングに行ったり、カラオケに行ったり。ごくごく普通の高校生活を過ごしていました。

小田寛

友達にはお父さんが会社の社長という人も多くて、今は親の後を継いだり、自分で起業して偉くなっている人もいます。自由精神のある学校だったので、それが影響していると思います。

開志専門職大学

高校生活で学んだことは、そのような自由精神ですか?

小田寛

そうですね。自由精神もそうですし、人間関係もですね。男子だけの中高一貫なので上下関係もありました。そういうところでコミュニケーションの方法を学べた、というところはあります。

小田寛

自由精神に関係すると思いますが、先生方も自由な、ユニークな人が多かったんですよ。クラスで日本の文化に触れる遠足に行ったり。勉強より心の豊かさを求める学校だったので、人間として成長できたと思います。

小田寛

もっと大きかったのは、学校ではなく、アルバイトでしたね。

開志専門職大学

アルバイトもされていたんですね。

小田寛

高校3年で部活は引退して、ホテルマンのアルバイトをしていました。これが私の人生を変える切っ掛けになったと思っています。

小田寛

そのアルバイトは大学の4年間も続けるのですが、ホテルの宴会や結婚式で配膳を担当していました。非常に厳しい先輩たちの許、サービス業の楽しさに触れることができました。

開志専門職大学

では、大学時代の想い出はそのアルバイトですか?

小田寛

そうです。仕事の厳しさを学べました。ホテルで行われる結婚式は1日の間に何組もあります。そのため、結婚式と結婚式の間の30分くらいでテーブルや椅子のセットを全部、変えてテーブルクロスを取り換えなければいけません。

小田寛

それが結構厳しいので、入ってきたアルバイトも長く続きませんでした。すると大学2年のときにはアルバイトリーダーとして、現場を仕切り、指示を出して動かしたり、そのための教育を担当するようになっていました。

小田寛

それは大変なんですが、上手く行ったときは嬉しいですし、なによりお客様から「ありがとう」と笑顔で喜んでもらえたときにやりがいを感じました。そこからサービス業の楽しさを知り、その世界に行きたいと思ったことが、今の会社に入社する動機になっています。

開志専門職大学

アルバイト以外での大学の想い出はありますか?

小田寛

商学部だったので、マクロ経済やミクロ経済の勉強や、サービス業や商業施設についてのノウハウ・ナレッジのある先生に教えて持って知識が身に付きました。

小田寛

でも、同志社大学はマンモス校なので友達も多かったし、視野が広がりましたね。友達と旅行に行ったりしていました。大学でものんびりと過ごしていました。なにより、女子がいる、というのは男子校出身者にとってはとても楽しかったですね。

自分の強みを活かして上を狙う

開志専門職大学

大学を卒業するとき、どのような就職活動をされたのですか?

小田寛

私はデパート1社とファーストフード2社に絞ってエントリーしました。デパートはアルバイトで学んだ接客とか、営業力が活かせるだろうと思ったからです。ファーストフードも同じようにリーダーシップを発揮することでやりがいが得られるだろうと考えたからです。

開志専門職大学

エントリーしたのは3社だけなんですか?

小田寛

はい。当時は就職氷河期でとても厳しい状態で、同期はなかなか決まらず、何十社と受けていたことに比べると珍しいと思います。

開志専門職大学

その3社を選んだ基準はあるのですが?

小田寛

なんとなくのフィーリングですね。どの企業というより、自分の強みがリーダーシップなので、人に指示を出す、人を教育するというところに特化する方が、自分が活かせられるんじゃないかと思ったんです。

小田寛

なんとなく組織の一員になるより、自分の強みを武器にして上を狙った方が良いと考えました。

小田寛

「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」という言葉があります。牛のような大きなところで末端にいるより、鳥のような小さなところのくちばしになった方がいい、という意味です。この言葉が好きだし、その方が自分に合っていると思いました。

開志専門職大学

それで決まったのはどこですか?

小田寛

日本ケンタッキー・フライド・チキンの大阪支社でした。

小田寛

で、これが運命なんですが、当時、ケンタッキー・フライド・チキンのなかにピザハット事業部があり、新入社員100人のうち、80人がピザハット事業部に配属されました。

小田寛

というのは、関西でピザハットのお店を拡大する計画があったからなんです。

小田寛

でも、新入社員のなかには「ケンタッキー・フライド・チキンだから入社したのに!」と怒る人もいましたし、なかには初日で辞める人もいました。80人いた同期は2年足らずで20人に減りました。

小田寛

ですが、私が配属になったピザハットのお店の店長が、当時、関西で一番、仕事のできるエースで、めちゃくちゃ怖いけど、すごいな〜と思えるところがあったので、とにかくがむしゃらに付いて行こうと思ったんです。

最年少で部長に昇進

開志専門職大学

入社してどうだったんですか?

小田寛

入社3か月で最初に配属されたお店の店長になり、3年後には地域のブロック長になり、5年でスーパーバイザーになりました。

小田寛

すごく大変でしたが、会社からグイグイ引っ張ってもらえた、というところです。

開志専門職大学

やりがいがあったわけですね。

小田寛

そうですね。自分に自信があったからかもしれません。「のし上がってやる」という。頑張れば頑張るほど仕事の幅も広がって行ったので、なんでも積極的に取り組みました。

開志専門職大学

「のし上がってやる」という勢いがあったんですね。

小田寛

お店の売上はすごく伸びて、成績も良く、年間優秀店長に選ばれ、海外研修に行かせてもらったこともあります。

小田寛

「小田というヤツがいるしいぞ」と社内では有名人になっていました。スーパーバイザーになったのは27歳でしたが、当時としては最年少でした。そのとき、関西の営業を仕切っていた私の上司が、今のピザハットの社長、中村昭一でした。

開志専門職大学

では、小田さんは次期社長?

小田寛

いやいやいや(笑)。ライバルがどんどん辞めて行ったので、ある意味ラッキーだったのかもしれません。

小田寛

だから、「どんな能力が必要か」と問われると「耐える能力」と答えます。残ったものだけが勝って行ける、ということはあると思います。

小田寛

当時は、365日、11時から夜の12時まで営業していました。店長にも休みはありますが、アルバイトが休んだらその代わりに出勤しないといけません。そのため休めない日々が続きました。

小田寛

実家で生活していたので両親からも「大丈夫か? 身体を壊さないうちに辞めたらどうだ」とよく言われました。でも、自分に負けたくないという強いハートがあったので、続けられました。

開志専門職大学

気力がなければやっていけませんよね。

小田寛

自分に負けられないという気持ちもありましたが、慕ってくれるアルバイトや後輩、部下が増えて行ったことも支えになっていましたね。「この人たちのためにも辞められない」という。今でもつながりは大切にしています。

開志専門職大学

他にも努力したことはありましたか?

小田寛

データ分析を身に付けていた方が有利になれると考え勉強をしました。

小田寛

営業会議ではデータ分析した結果を許にしてプレゼンしていましたし、お店の成績向上にも役立てていました。それが本社の目に止まったことで、今があります。

開志専門職大学

本社に行こう、という気持ちはあったんですか?

小田寛

なかったですね。それでも常にライバルに勝つにはどうすればいいかは常に考えていました。

開志専門職大学

今はどのような仕事をされているのですか?

小田寛

私が管轄しているコーポレート部の下には、財務とか経理などの7つの課があり、私はそれらを総括し、制度や仕組み、契約関係など、さまざまなことに取り組んでいます。

夢ではないリアルな話をして行きたい

開志専門職大学

キャリアアップさせるにはどうすれば良いのでしょうか?

小田寛

やはり、自分を磨いてレベルアップしないと次には行けないと思うんです。「ドラゴンクエスト」にしても、レベルが低いとボスを倒すことはできません。

小田寛

レベルアップするためには学ぶことです。それはスクールに行くとか、書籍などを読むのもいいですが、「この人と一緒に仕事をしたら自分は成長できるかもしれない」と思う人に付いて学ぶことです。

小田寛

私はそんな人の懐に入るのが上手なんです。「後輩力」があって、上の人から可愛がられるタイプ。でも、上司にこびたり、ゴマを擦ることは決してしません。

小田寛

素直に「教えてください」と飛び込むんです。もちろん、ウソではありません。教えてもらうからには早く吸収しようと努力します。

開志専門職大学

よく、わかります。「教えてください」と言われて気分を害する人は少ないですし、早く吸収すれば「本気なんだな」とわかりますからね。

小田寛

学生時代、あまり勉強せずゆっくりしていたからこそ、社会人になってからすごく勉強するようになりました。

開志専門職大学

開志専門職大学では学生にどのようなことを伝えたいですか?

小田寛

ひとつには、外食産業についてです。世の中の労働力不足に対学生時代、あまり勉強せずゆっくりしていたからこそ、社会人になってからすごく勉強するようになりました。してサービス業はどのような動きをしているかは、語っても良いと思っています。

小田寛

もうひとつは、サラリーマンとして出世するにはどのようなことを心がければいいかもアドバイスできると思います。身なりとか朝の挨拶は大切だとか。夢だけでない、リアルな話ができれば、私が講師になる意味があるのかなと思っています。

開志専門職大学

外食産業の未来はどうですか?

小田寛

24兆円の市場規模がありながらも、それが横ばいなのは事実です。でも、外食産業は厳しいけれど、消えることはないと思います。

小田寛

高齢化社会になると家庭で食事を作れない人が増えて、ピザハットのような宅配サービスの需要は高まると考えています。もちろろん、他から参入してくることもあると思いますが、もっと市場を開拓できるのではないかと考えています。

開志専門職大学

もっと発展する?

小田寛

そうです。また、外食産業は、学生がアルバイトとして働ける場所です。外食産業がなくなると学生の社会勉強をする機会も減ってしまいます。社会貢献という意味でも外食産業は意味あるものです。

小田寛

我々は生き残るために毎日、必死に戦略を考えています。それはやりがいでもあります。外食産業で働きたいと学生に思ってもらえるように頑張りたいとも思っています。

開志専門職大学

最後に、学生の間にやっていた方が良いことは何でしょうか?

小田寛

シンプルに言えば「英語」ですね。高校の間にぜひ、海外に短期留学をして欲しいですね。「翻訳できる機械でいいじゃないか」と言う人もいますが、直にコミュニケーションできることに越したことはありません。

小田寛

それに地学や古文はその分野に行かないと使わない知識ですが、英語はいつでも役に立ちます。

小田寛

後は「部活」。ひとつの目標に向かって、毎日、汗水たらして涙しながら頑張るということは、人生のなかでそんなに経験はできせん。学生のときにしかできないことです。

開志専門職大学

ありがとうございました。

特別講師 小田寛(おだ・ひろし)氏
日本ピザハット・コーポレーション株式会社
コーポレート部 部長

同志社大学卒業後、日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社に就職し、ピザハット部門に配属となる。ピザハットの店長、スーパーバイザーを経験の後、2009年より本社部門にて、業務企画、関東エリア統括長、マーケティング部など数々のポジションを経験。2017年6月にKFCからスピンアウトし、ファンドが投資する新たな日本ピザハットが誕生。
独立後はコーポレート部長に就任し、一から本社機能の立ち上げを実施し、組織構築、グローバルブランド本部との契約、システムの独立化など多岐に亘って業務を遂行。現在は、日本ピザハット株式会社にて、財務経理、人事総務、情報システム、経営企画を統括する。

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