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働くことは生きること。自分の舵は自分で取ろう。 村上 臣氏

自分のスキルややりたいこと、興味があることをオープンにすることが大切
開志専門職大学で講師を務めるリンクトイン・ジャパン株式会社 日本代表村上臣さんに、高校から大学時代、そして社会人生活のお話を伺いました。 また、開志専門職大学で学生たちにどのようなことを伝えたいのか、高校生にやっておくべきこともお聞きしました。
ブラスバンドとコンピュータの高校時代

開志専門職大学

どのような高校だったのですか?

村上臣

4校受験しましたが、行きたかった2校は落ち、第3希望の高校に入学しました。

村上臣

私としては第3希望の学校だったので挫折感を味わいましたが、逆に成績はトップになったので、中間期末のテストがとても楽でした。

開志専門職大学

部活はしていましたか?

村上臣

中学からブラスバンド部でパーカッションをやっていたので、高校でもブラスバンド部に入りました。高校はマーチングに力を入れていたので、ずっと部活をしていた3年間でした。

開志専門職大学

部活に打ち込む学生だったんですね。

村上臣

高校時代はチャラかったですよ(笑)。ブラスバンド部の半分は女子だったので、チャラチャラしていました。あと、プログラミングが趣味だったので、家に帰ると楽器の練習とプログラミングをしていました。

村上臣

当時、コンピュータ・ミュージックが流行りだしていたのですが、そのころはまだ、コンピュータで音楽をやるにはプログラミングの知識がないとできませんでした。私はプログラミングができたので、作曲していました。

開志専門職大学

好きな音楽とプログラミングを融合させたわけですね。

村上臣

私はピアノは弾けなかったのですが、コンピュータに弾かせれば思い通りに曲が作れると思ったんです。

村上臣

私には兄がいるのですが、兄はヒップホップ系が好きだったので、私が曲を作って2人でクラブミュージックを作るみたいなことをやっていました。

開志専門職大学

第1希望の高校ではなかったけれど、良かった感じですか?

村上臣

良かったですね。勉強をしなくても成績は良かったので、勉強をする時間を別に使えたのが良かったところです。アルバイトをしたことも自分の世界が広がったことのひとつでした。

開志専門職大学

どのようなアルバイトをされたのですか?

村上臣

高校3年から秋葉原のパソコン屋でアルバイトをするようになりました。

村上臣

元々、常連になっていたお店があって、よく店員と間違われていたんですよ。お客さんから「この部品はどこにありますか?」と聞かれることが多くて、「それは、あそこにあります」と案内したりして。

村上臣

すると店長から「お前、働けばいいじゃん」となって(笑)。それで土日だけアルバイトすることになりました。そこには結局、大学2年までアルバイトしていました。

大学在学中に仲間と一緒に起業する

開志専門職大学

大学受験はどうだったのですか?

村上臣

高校は大学の付属だったので、そのまま進学する予定だったのですが、途中で青山学院大学の推薦が取れたので、そちらに行くことにしました。

開志専門職大学

青山学院大学でやりたいことがあったのですか?

村上臣

ないです(笑)。推薦で入れてネームバリューがあるからです。青山学院大学はオシャレだなと思ったんですよ。物理が好きだったので、理工学部物理学科に入りました。元々、宇宙系を目指していたんです。

開志専門職大学

宇宙系と言うと?

村上臣

航空宇宙でロケットを作りたかったんです。ロケットを手掛ける大手企業のエンジニアになりたいと思っていました。でも、大学で何かを学びたい、というのは特になかったですね。

開志専門職大学

大学時代の一番のエピソードは有限会社電脳隊を設立して起業されたことですか?

村上臣

電脳隊は起業しようとして作ったのではなく、元々はサークルのノリでスタートしたものです。なので最初は会社組織ではありませんでした。

村上臣

私が大学に行く一番の目的は、インターネットがタダで使えることでした。授業に出ずに、コンピュータ・ルームにこもっていました。

村上臣

そのうち、ホームページを作ることがブームになって、友達が「親父の会社のホームページを作ってくれないか」と言い始めて、請け負っているうちにその仕事がすごく増えたんです。

開志専門職大学

ホームページの黎明期ですね。

村上臣

そうです。リクエストされるホームページは決まっていて、「問い合わせホームが欲しい」とか、「掲示板が欲しい」というもの。

村上臣

なので、パッケージを作ってレイアップして、会社のロゴを知り合いのデザイナーに作ってもらって、それをはめ込むだけで完成となるようにしました。

村上臣

超イージーなんだけど、単価も高いし、濡れ手に泡のビジネスでした。

開志専門職大学

ずっと個人で?

村上臣

いや、すぐに有限会社にしました。理由は2つあって、儲かりすぎて税金がヤバくなったのと、取引先から「会社にしてくれ」と言われたことです。

村上臣

それでコアメンバー10名でお金を出し合って会社を設立しました。

コンサルティング会社に就職するも1年足らずで退社

開志専門職大学

大学を卒業するとき、そのまま電脳隊を続けようとは思わなかったのですか?

村上臣

思いました。すごく悩みました。

開志専門職大学

やはり悩みますよね。

村上臣

大学3年のとき、電脳隊でも受託仕事だけでなくて、自社サービスもやりたいよね、ということになり、モバイルインターネットに専念しようということになりました。

村上臣

受託の仕事は知り合いの会社に移行して、自分達は自社サービスをやることにして電脳隊を分割したんです。そのうち、KDDIと仕事をすることになりました。

開志専門職大学

大手企業と仕事をするようになったんですね。

村上臣

大企業と仕事をするようになって、大企業の論理が理解できませんでした。

村上臣

例えば、サーバーをセットアップするにも「稟議が通らないから、用意できません」とか言われるんですが、「稟議ってなに?」でした。

村上臣

大企業っていろんなことがあるんだなと思ったとき、仕事をするためには大企業のことも知らないと大きな仕事はできないと思ったんです。

開志専門職大学

それで就活することにしたんですね。

村上臣

それで、コンサルティングの会社を中心に受けました。なぜかと言うと、普通、会社に入るとその会社のことしかわかりません。

村上臣

でも、コンサルティングの会社だといろんな会社と仕事をするので、効率よく企業のことが学べると思ったからです。

村上臣

行きたいコンサルティングの会社を4つか5つ受けて、内定がもらえたのが野村総合研究所(NRI)でした。でも、内定をもらっても悩んでいました。

開志専門職大学

コンサルティングの会社ばかり受けたんですね。なぜ悩んだのですか?

村上臣

いや、最初のひとつはJALです。パイロットになりたかったから(笑)。やっぱり夢は捨てられなくて。実は大学も青学の推薦を取りながらも防衛大に行ってパイロットになりたいと迷っていました。

村上臣

JALは倍率が300倍でした。6次審査あるうちの4次まで行きました。でも、落ちたので、じゃ、野村総研に行くかと。

開志専門職大学

じゃ、で行けるような会社じゃないじゃないですか。野村総研にしてもそうとうな倍率でしょう。

村上臣

その辺はいつもプランをABCまで並べるタイプなので。

開志専門職大学

でも、野村総研は1年しか働いていないのだとか。

村上臣

1年も持ちませんでした。10か月くらいです。それでピー・アイ・エムという会社になっていた元・電脳隊に戻ることになったんです。

開志専門職大学

野村総研を辞めると言ったら怒られたのだとか。

村上臣

怒られたというか、上司は理解できなかったんだと思います。上司は「生涯年収3億円だぞ」と言うんですが、私は『3億円くらい、自分で稼げるじゃん』と思ったんです。

村上臣

ブログを作って5000万円で売る、みたいなことはそこらじゅうにありますからね。説得する言葉を聞くほどモチベーションが下がりました。

開志専門職大学

そして、ピー・アイ・エムはヤフーと合併して、村上さんはヤフーで働くことになるんですね。

村上臣

ピー・アイ・エムは順調に成長していて、複数の企業からM&Aのオファーが来ていたんですが、売却がゴールとは思っていなかったんです。

村上臣

最終的にヤフーが「Yahoo!の基盤を使って大きな世界で勝負できるじゃないか」みたいな話をされて「確かにそうだね」と思ってジョインを決めました。

ヤフーでやりたいことをやり切りリンクトインへ

開志専門職大学

ヤフーではどのような仕事をしていのですか。

村上臣

いちエンジニアとしてひたすらYahoo!モバイル、ガラケーのYahoo!を作っていました。

村上臣

2年くらいメンバーをやって、3年目に管理職のリーダーになりました。最後は執行役員チーフ・モバイル・オフィサー(CMO)となり、モバイル事業の企画戦略を担当しました。

開志専門職大学

そのキャリアパスをご自身はどうお考えですか?

村上臣

私は役職よりモバイルにしか興味はなかったんです。モバイルを中心に、どれだけ世の中に影響を与えられるサービスに関われるか、ということが一番のモチベーションでした。

村上臣

ヤフーにジョインしたのも、自分が関わったサービスが何千万という人に使ってもらえることが嬉しいと思ったからです。

村上臣

キャリアアップしたかったのではなくて、やりたいことをやるには上に行くしかなかっただけのことです。基本的には管理職は面倒なのでやりたくないタイプです。

開志専門職大学

それから現在のリンクトインにシフトするわけですが。

村上臣

ヤフーでやり切った感があったんです。自分としてはミッションコンプリートでした。それで外に機会を求めて辿り着いたのが、リンクトインでした。

開志専門職大学

リンクトインのことを教えてください。

村上臣

一般的にはビジネスSNSと呼ばれるものです。わかりやすく言うと、仕事用のソーシャルメディアですね。

村上臣

英語圏では多くの人が活用しているので、将来、日本以外で仕事をしたい、と思うのなら、使っていた方が良いツールです。

開志専門職大学

リンクトイン・ジャパンの日本代表を務める今はとてもお忙しいのだとか。

村上臣

時差がタイヘンです。ステークホルダーがグローバルに散らばっているので、西海岸とオーバーラップする時間は日本時間の朝から10時くらいまでです。その間はテレビ会議がひたすら続きます。

村上臣

重要なプロダクトチームはアメリカにいるので、そことの話し合いがメインです。それが終わるとシンガポールタイムになります。シンガポールで足りないものを調達するのも私の仕事です。

村上臣

それが終わると次は日本タイムです。ミーティングとか来客があります。夕方になってやっと、自分がやらなければならない作業にかかることができます。

開志専門職大学

海外出張も多いのだとか。

村上臣

多いです。月の半分は海外です。シンガポールを往復するのに飛行機のなかでしか寝られない、ということはよくあります。でも、私は飛行機が好きなので爆睡できます。ぜんぜん苦ではないです。むしろ操縦したいくらいです(笑)。

リンクトインを学ぶことはこれから必須になる

開志専門職大学

開志専門職大学の学生に伝えたいことはなんでしょうか?

村上臣

私は、セルフブランディングは大学生のうちから身に付けておくべきスキルだと思っています。

村上臣

また、オフラインとオンラインでのコミュニケーションが重要ですし、自己開示は自己実現につながるものと考えています。

村上臣

一般的に日本人のいう「人脈」はオフラインで誰を知っているか、という話です。でも、今はオンラインでつながっている時代。社内で働くにしても社外で働くにしても、「チームの一員として働く」ということが大事です。

村上臣

なので、オフラインとオンラインでどうすれば良い関係が築けるか、チームの一員として自分の得意技を活かして貢献して行くか、というスキルが大事になります。

開志専門職大学

それはスキルとして身に付けなければいけない?

村上臣

そうです、学生時代からサークルなどでのチームで、デジタルツールを使いながら何かのプロジェクトを進めて行くことに慣れておくべきです。

開志専門職大学

では、チームで仕事をするスキルの磨き方を伝えたい?

村上臣

そうです。そして大事なのは、自己開示です。自分がどういうものが好きで、どういうものに興味があるかをまず表に出しましょう。表に出さないと向こうからやってきてくれません。

村上臣

何かを知りたければ、自分から情報を出さないと知り得ることはできないのです。

村上臣

そのためには、プロフィールで自分のスキルややりたいこと、興味があることをオープンにすること。するとチャンスが増えます。

村上臣

アメリカでは大学1年の一般教養で、リンクトインの使い方を学びます。なぜかと言うと早い場合は大学1年生からインターンが始まるからです。

村上臣

インターンで良い企業で働いた経験がないと最終的に良い企業に就職はできません。インターンに応募するのにリンクトインが必要なんです。

開志専門職大学

自分を可視化してプロフィールを作れないといけない、ということですね。

村上臣

そうです。しかも、インターンが終わったら、どういうことを達成したと加えて実績にしていかなければいけません。それを持ってまた、別のインターンに行くんです。

村上臣

日本でも就活が変わろうとしています。そうするとアメリカのようなことが起きます。今はインターンを取っているのはベンチャーが多いですが、大企業もインターンにオープンになってきています。

村上臣

つまり、大学に入ったときから就職を意識して動かないといけなくなって行くんです。

開志専門職大学

競争が激化するわけですね。

村上臣

就職フェアに行く、といった文化もなくなるでしょう。そのためには学生のときから意識的にネットワークを作って行かないと難しい時代になってきます。

開志専門職大学

それはリンクトインが必須ですね。

村上臣

そうです。それを教えたいと思っています。

開志専門職大学

最後に、高校時代にやっていた方が良いことはなんでしょうか?

村上臣

遊べるときは遊んだ方がいいかもしれません。これからはチームで働く時代なので、友達との関係性をどうすれば上手に保てるかは、遊びや部活なとで学ぶことができると思います。

開志専門職大学

遊ぶのも将来のためですね。

村上臣

今後、グローバル化が進んできます。違うカルチャーの人ともチームを組まなければいけません。

開志専門職大学

なるほど。

村上臣

違うカルチャーの人とコミュニケーションを取るには、文章にして可視化しないといけません。日本人同士なら伝わることでも文化が違うとまったく伝わりません。そのために文章が必要になるんです。

村上臣

なので、高校生の間に何をしておけば良いかと言うと、まず、本を読んだ方がいいです。国語力がめちゃめちゃ大事になるからです。自分が言いたいことが表現できる国語力、作文力はとても大事になってきます。

村上臣

グローバル化だからと英語を習ってもあまり意味はありません。英語を頑張って国語をおろそかにするのなら、国語を頑張ってから英語をやるべきです。

開志専門職大学

ありがとうございました。

特別講師 村上臣(むらかみ・しん)氏
リンクトイン・ジャパン株式会社
日本代表

大学在学中に仲間とともに有限会社「電脳隊」を設立。その後統合したピー・アイ・エムとヤフーの合併に伴い、2000年8月にヤフーに入社。一度退職した後、2012年4月からヤフーの執行役員兼CMOとして、モバイル事業の企画戦略を担当。2017年11月にLinkedinの日本代表に就任。複数のスタートアップの戦略・技術顧問を務めている。

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