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オーストラリアで一台数十億のコンピュータ販売が大成功。 増田義彦氏

「海外の国々と取引することで関係を持てば、戦争のない世の中が実現できる」という熱い思いを抱いてグローバルなビジネスができる仕事を希望したという増田義彦さん。富士通に入社してから30数年が経った2019年、増田さんはグループ会社の富士通フロンテックで海外ビジネスの総責任者を務めています。まさに自分の夢をその手で掴んだことになります。そして、カナダやカリフォルニアで働きながら母国を客観的に眺め、それぞれの国の状況と比較した上で、日本はどう変わるべきか、日本の若い世代は今後どうあるべきかについて率直にアドバイスをしてくださいました。
現地の企業と手を組んで起こした新規事業が開花 アメリカのスーパーマーケットに導入したものとは?

開志専門職大学

増田さんの今のお仕事について教えてください。

増田義彦

私は今、富士通のグループ会社である富士通フロンテックで海外ビジネスの総責任者を務めています。

増田義彦

銀行のATMやアメリカのスーパーなどにあるセルフチェックアウト(顧客が自分で商品の精算ができる機械)を開けると、紙幣を入れたり出したりできる機械が入っています。そういったものを世界で販売する仕事をしています。

開志専門職大学

その機械は何と呼ばれているものですか?

増田義彦

英語ではキャッシュハンドリングデバイスやビルリサイクラーと呼ばれます。日本語では紙幣取扱機、紙幣還流装置と言いますね。

増田義彦

そのような機械を扱う仕事が8割で、その大型ビルリサイクラーの世界シェアでは当社が3割から4割を占めています。圧倒的な首位です。

開志専門職大学

増田さんのキャリアの上での一番の実績は何でしょう。

増田義彦

そうですね、何でしょうね。仕事を何十年もやってきましたからね(笑)。たとえばですね、先ほど話した、このビルリサイクラーのビジネスをアメリカで始めたことでしょうか。

増田義彦

あの時は社内の反対を押し切った形で始めました。それが今ではアメリカのスーパーに結構入っているんですよ。

増田義彦

スーパーマーケットの裏には通常、金庫があって、レジのスタッフは自分の勤務時間が終わるとレジスターのティル(お金が入っている引き出し)ごと抜いて裏に行き、その金庫にお金をガラガラと入れるわけです。

増田義彦

しかし、それぞれのスタッフが一体いくら入れたかがわかりません。

増田義彦

そこで、金庫にビルリサイクラーを導入して、機械に入れた瞬間にどのスタッフがどれだけ入れたかわかるようにするのと同時に、

増田義彦

銀行ともネットワークでつないで銀行口座に入金できるようにすれば、その時点で銀行の利子もつくというアイデアを実現しました。

開志専門職大学

それはすごいアイデアですね。増田さんが考え付いたのですか?

増田義彦

当時、現地(アメリカ)の会社の社長さんを訪問した時に、その話を聞きました。日本から行った人間ではとても思いつかないようなことを、現地の装置を扱っている人たちは思いつくのです。

増田義彦

そういう方たちと手を組んでビジネスを起こしたところ、非常にうまくいきました。

開志専門職大学

最初、反対していた会社の人たちは何と言っていますか?

増田義彦

「ご苦労さん」と言ってます(笑)。もともと、反対された理由というのは、私たちはそれまで、そのようないわば「部品」を販売していなかったんですよね。

増田義彦

しかし、ビルリサイクラーは機械の中に収められる部品なので、部品を収めてくれる製品のサプライヤー(供給業者)さん相手に売ることになり、それまでにビジネスのモデルとして存在していなかったということだったんです。

外国とビジネスでつながれば戦争のない世の中になる それがグローバルな仕事を目指した動機

開志専門職大学

前例がなかったということでしょうか。それを増田さんが打破して前例を作ったんですね。

開志専門職大学

さて、今はフロンテックの東京本社で働いていらっしゃる増田さんですが、アメリカ駐在はいつからだったんですか?

増田義彦

2004年からです。富士通のアメリカの子会社に、ハードディスクドライブを扱う仕事で赴任して来ました。ところがその部門が東芝に売られてしまいました。

増田義彦

そこで、2009年、みっつの選択肢を突きつけられました。ひとつは日本の富士通本社に戻る、ふたつ目は東芝に移る、みっつ目がアメリカに残る、というものでした。

増田義彦

そして、たまたま、富士通フロンテックのアメリカの社長の席が空いていたので、私はその役目を引き受け、2014年までカリフォルニアで働きました。

増田義彦

その後、東京に私は戻りましたが、実は家族もカリフォルニアのニューポートビーチにいて、家もまだそこにあるんですよ(笑)。

開志専門職大学

富士通に入社されたのはなぜですか?

増田義彦

私は1981年の入社ですが、当時の若者にはグローバル志向があったんですね。海外に日本のメーカーが続々と進出を果たしていた頃で、ソニー、キャノン、富士通あたりが志望先として私の頭の中にありました。

増田義彦

実際受けたんですけど、ソニーやキャノンはもともと海外志向の人材が多く集まる会社でした。ですから、そこに入っても競争が激しいだろうと予想しました。結果的に国内のビジネスを扱う部署に配属になるのではないかと思ったんです。

増田義彦

そこで、当時はまだメジャーではない富士通に入った方が、海外に出るチャンスに恵まれるんじゃないか、と思ったのが富士通に決めた理由です。

増田義彦

そして予定通り、最初から海外とビジネスする部署に配属されました。

開志専門職大学

当時の若者はグローバル志向だったとおっしゃっていますが、増田さんご自身が海外を意識したのはどのようなきっかけからだったのですか?

増田義彦

私は早稲田の政治経済学部なんですが、勉強していたのが「戦争のない世の中にするためにどうしたらいいか」といったようなことでした。

増田義彦

国際的に協調するためには、それぞれの国がビジネスでつながることが大事だと考えたんです。そうしたら戦争は起こらない、と。

開志専門職大学

同じ目的を持ってやりとりをすれば、外国とも仲良くできるということでしょうか。

増田義彦

日本と海外が一つになるには、グローバルなビジネスをやることで貢献できると信じていたんです。血気盛んな若者でした(笑)。

オーストラリアへの大型コンピュータ販売で大成功 次はカナダ!と最初の駐在員として海を渡る

開志専門職大学

実際に富士通では、どんなお仕事を担当されたんですか?

増田義彦

最初はオーストラリアに、当時主流だった大型コンピュータを売る仕事でした。1台売れると何十億円という仕事です。

増田義彦

オーストラリアを相手に大成功を収めたので、次はカナダに売りに行こうということで、現地に会社を作って、私はそこの初代の駐在員として派遣されました。

開志専門職大学

オーストラリアに続いてカナダ!

増田義彦

ところが時代が大型コンピュータから小型コンピュータにちょうど移り変わる時期でした。今はもう全部パソコンになってしまいましたよね。

増田義彦

その端境期(ルビ:はざかいき)だったために、カナダのビジネスはうまくいきませんでした。それで会社もたたんで、日本に帰り、1997年頃からハードディスクドライブを扱う仕事に変わりました。

増田義彦

ハードディスクとはパソコンの中にある記録媒体です。

開志専門職大学

海外で働いてみて「日本とは勝手が違う」と苦労したことは何でしたか?

増田義彦

そうですね、言葉も大変でしたけど、やはり労働環境の違いは大きかったです。カナダのビジネスがうまくいかなくて、クビ切り(解雇)を頻繁に行わなければなりませんでした。

増田義彦

朝、従業員が会社に来ると、私が部屋に呼び出してその日が最後だということを通告します。すると、その場で荷物をまとめて出ていきます。2度と会うことはありません。日本だとありえない状況でした。

増田義彦

ですから、会社の人たちと仲良くなりすぎてしまうと辛い、ということを実感しました。そのことが一番大変でした。

開志専門職大学

反対に海外で働くことの醍醐味、やりがいとは何でしょう?

増田義彦

仕事で任される範囲が非常に広いことですね。あと、会議のやり方ひとつ取っても、アメリカはその場で激しい議論が交わされる点がいいですね。

増田義彦

日本だと会議の前に根回しに根回しを重ねて、会議自体は資料を読み上げるだけの儀式です。

増田義彦

しかも、日本では質問しちゃいけない雰囲気というのがあるでしょう?資料は事前に何回も提出されているから、皆、ある程度は知っているわけです。

増田義彦

アメリカだといつでも質問していいし、質問しないと理解し合えない、また資料は議論するためのペーパー(書類)に過ぎないという認識ですよね。

増田義彦

まあ、日本とアメリカ、それぞれ、いいところと悪いところがありますけど、それらを両方組み合わせてやっていければいいなとは思います。

開志専門職大学

日本のいいところは何でしょうか?

増田義彦

うーん、どうしても日本の悪いところの方に目がいきますね。まあでも、皆が助け合う文化というものが日本にはありますよね。誰かが忙しければ、他の誰かがカバーしてくれる。

増田義彦

でもそれは反面、仕事の分担がはっきりしていないからでもあります。だから、いいところであって同時に悪いところでもあります。

短期留学や語学学校に通ったことで英語には自信あった しかし、仕事での英会話よりも実際はスタバでの注文が難しい?

開志専門職大学

オーストラリア人やカナダ人を相手にビジネスをされていたということは英語は不自由なく?留学のご経験は?

増田義彦

それが半年間のボストンへの語学留学だけです。ボストンに行ったのは19歳の時です。若い時は吸収できますからね。

増田義彦

そのあと、英語学校にも行きました。そこで今の女房と知り合いました(笑)。

開志専門職大学

その後、英語を独学したりは?

増田義彦

最初は英語に自信持っていたんです。でも、(海外に)住めば住むほど、自分で思っているほど英語ができないと実感します。

増田義彦

まず発音。スターバックスでカプチーノを注文するにも通じませんでした。それで最初の頃は発音専門の先生に習っていました。

増田義彦

それからプレゼンテーションの機会が多かったので、それはもう相当練習してから本番に臨みました。人前でスピーチすることも多く、下書きして練習に練習を重ねて、という感じです。

増田義彦

苦労したし、工夫もしました。でも、立場的に上(責任者)で赴任してきたので、僕の英語を現地のスタッフもちゃんと聞いてくれるし、仕事の範囲の英語はなんとかわかります。仕事の英語より、スタバの注文の方が実際は難しいです(笑)。

開志専門職大学

海外生活の素晴らしい点とは?

増田義彦

まず家が広いですね。あの開放感は日本では味わえません。カリフォルニアのニューポートビーチに今も家があるんですが、天気予報がいらないんです(いつも快晴)。

増田義彦

日本にいると、テレビで天気予報を1日中やってますよね。カリフォルニアの生活は本当に素晴らしいですね。あと、時間の流れがゆったりしているように感じます。

開志専門職大学

カリフォルニアで満喫していた趣味、新しく始めた趣味などありますか?

増田義彦

走り始めました。カリフォルニアの景色を見ていると走りたくなってしまったんです。

増田義彦

それで家のすぐ近くがビーチだったので、砂浜で走り始めて、さらに距離が5キロ、10キロとのびて、ハーフマラソンに出てフルマラソン、最後にはトライアスロンに出場するまでになりました。

開志専門職大学

健康的に過ごされたカリフォルニアでの生活が目に浮かぶようですね。

増田義彦

そうですよね。もともと水泳は得意だったんですけど、走るようになるとは自分でも思っていませんでした(笑)。

日本的な思考から脱却するために海外に一度出るべき サークル、ボランティア、インターンと様々な経験を勧めたい

開志専門職大学

さて、カリフォルニアでの生活を終えて、日本に帰られている現在、アメリカの何が恋しいと思いますか?

増田義彦

まず、会議のやり方。日本のやり方はそもそもおかしいです。それを改善しようとしたんですが難しいですね。

増田義彦

それから、アメリカの最先端の機械。アメリカでは自分の部屋に大きなモニターを置いて、パソコンをそれにつないで皆でそのモニターの画面を見ながらペーパーレスで打ち合わせをしていたわけです。非常に効率的なやり方です。

増田義彦

ところが、日本でもそれがしたいからモニターを入れてほしいと会社にリクエストしたら、入れてくれませんでした。5年経ってやっと(実現)です。

増田義彦

そういういろんな意味で効率を下げるようなやり方をする日本と違って、アメリカの最先端のITを使った手法はいいと思いますね。

開志専門職大学

そうですか。日本ではいろんなことに時間がかかりますよね。

開志専門職大学

ところで増田さんは子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

増田義彦

スポーツもやったし、勉強もちゃんとしていましたね。小学生の頃はマスコミ志望で、学級新聞を自分で作ってクラスの壁に貼ってました。

増田義彦

今でも同級生に会うと、「あれは面白かった」と言われます。中高時代もちゃんと勉強していたかな。

開志専門職大学

挫折した経験などはなかったんですか?その後の人生を決めた転機は?

増田義彦

難しい質問ですね。友達のお父さんに会った時に「これからはITの時代だ」という話を聞いて感銘を受けたこと、それが富士通に入ったことにつながっていますね。

増田義彦

それがターニングポイントだったかもしれません。

開志専門職大学

これから大学生になる、今の高校生に「大学の4年間でやっておくべきこと」をアドバイスするとしたら何と言いますか?

増田義彦

まず、海外には行った方がいいです。そうしないと日本的な思考から脱却できません。世界にはいろんな考え方があります。それを知った方がいいと思います。

増田義彦

あとはちゃんと勉強しておくのも重要だし、さらにサークル、ボランティア、インターンといった経験を通じていろんなコミュニティーと関わることをお勧めします。そして好きなことをやればいいと思います。

開志専門職大学

増田さんから開志専門職大学の学生には、特別講師としてどのようなお話をしていただけますか?

増田義彦

海外に18年間いましたので、日本人と外国人の考え方の違い、苦労話などをお話しします。

増田義彦

そして海外の人たちと一緒になってビジネスを起こしていく方法論を、実例を伴って紹介します。それはもういくらでもお話できます。

開志専門職大学

ありがとうございます。特別講義を楽しみにお待ちしています。

特別講師 増田義彦氏

東京都出身。1981年、早稲田大学を卒業後に富士通に入社。オーストラリアに大型コンピュータを販売する仕事で実績を上げ、1990年にカナダの現地法人に駐在員として赴任。1997年に帰国。2004年に富士通コンピュータ・プロダクツ・オブ・アメリカの社長としてカリフォルニアへ。2009年、富士通フロンテックノースアメリカの代表取締役社長に就任。現在は富士通フロンテックの経営執行役常務兼グローバルビジネス本部長。趣味はマラソン。

インタビュー:福田恵子
撮影・動画:梶浦政善

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