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海外の商船大学立ち上げから海賊退治まで。 伊藤隆史氏

「キャプテン」と言ってもスポーツチームのキャプテン(主将)ではありません。船の世界のキャプテンは、巨大な船に乗っている客や船員、荷物、そして船上で起こった出来事のすべてに責任を持つ「船長」です。その崇高な肩書きを持つ伊藤さんは、世界の大洋を舞台に、これまでに多くの船旅の舵をとってきました。「色々な国で色々な人と触れ合いたい」という高校生の時の夢を船の仕事で叶えた伊藤キャプテン。仕事のやりがいだけでなく、自分の目で見てきた世界の多様な文化と大自然の驚異を、開志専門職大学の学生たちとぜひ共有したいと語ってくれました。
日本の会社第一号、岩崎弥太郎が創業した日本郵船会社。 「人々の生活に価値を運び続ける」船の仕事に携わる誇り。

開志専門職大学

伊藤さんのお仕事について教えてください。

伊藤隆史

船で物を運ぶ仕事をしています。皆さんが生活していくための物資は重量ベースで99.6%、船で運ばれているんです。ほぼ100 %です。

伊藤隆史

海で囲まれている日本なので当然のことなんですけれど、それって皆さん、ご存知ないですよね。

開志専門職大学

はい、残念ながら知りませんでした。

伊藤隆史

そのことが本当に始まったのは明治維新の頃です。ですから、ほんの150年前、閉ざされていた外国との交易が始まって、外部からいろんなものが入ってきました。

伊藤隆史

当時の日本には、外航船なんてなかったんですね。誰も大きな船を操船する技術も何もなかったんです。

伊藤隆史

ですから、欧米の名門の海運会社が日本に物資を運んでいました。乗組員も外国人。

伊藤隆史

そこで、日本でなんとか航海の自主権を取り戻そうと、会社の創始者でもある岩崎弥太郎が、力のある海運会社とそれを支える船員養成学校を作ろうと立ち上がりました。

開志専門職大学

三菱財閥の創業者の岩崎弥太郎と言われるとわかりやすいですね。

伊藤隆史

岩崎弥太郎が1975年、三菱商船学校、今の海洋大学の前身を開設しました。明治の初年、九十九(ルビ:つくも)商会を立ち上げ、それがうちの日本郵船という会社になりました。そこから三菱グループが広がっていったのです。

伊藤隆史

ちなみに、うちの日本郵船株式会社は略してNYKと言っているんですけど、これは日本郵船会社の頭文字です。日本郵船会社は日本で初めての会社です。

開志専門職大学

会社第一号なんですね。では、船の輸送力の凄さについてもっと詳しく教えてください。

伊藤隆史

例えば自動車なら、7000台を一度に運ぶことができます。ちなみに新千歳空港の駐車場に停められる自動車の数は4550台です。

伊藤隆史

また原油タンカー船2隻で、日本に1日で使用される原油の量を賄うことができます。

開志専門職大学

巨大、ですね。その重さで海に深く沈みそうですけど。

伊藤隆史

そうなんです。タンカー船などは海面の下の20メートルにまで船底が達しているので、浅瀬に引っかけないように注意が必要なんですよ。

開志専門職大学

日本郵船には有名なクルーズ船もありますね。

伊藤隆史

飛鳥2のことですね。102日間の世界一周クルーズもあります。ロイヤルスイート料金は約2700万円です。

開志専門職大学

自動車、原油から、クルーズを楽しむお客さんまであらゆるものを運んでいるんですね。

伊藤隆史

岩崎弥太郎が提唱した「生活に価値を運び続ける」という精神を今も受け継いでいます。

伊藤隆史

「Bringing value to life.我ら一艘の船を浮かべれば、世に一層の便をもたらし、その利は全人民の頭上に落つる理なり」と言います。

肩書きは巨大な船の責任を担うキャプテン。 1回の船旅ごとにミッションが完結し、達成感を味わえる。

開志専門職大学

実際に、アメリカの本社で働かれていたんですよね?そして伊藤さんはキャプテン、日本語で言うところの船長さんですね。巨大な船の責任者ですが、どうしたらキャプテンになれるのですか?

伊藤隆史

まず三等航海士からスタートします。3、4年の経験を積み、次に二等航海士に昇進し、さらに2年ほどで一等航海士になります。そして、4、5年後に船長になれます。

開志専門職大学

伊藤さんがキャプテンになったのは何歳の時でしたか?

伊藤隆史

37歳でした。今ではどこに行っても、皆さんから「キャプテン、キャプテン」と呼びかけられます。

開志専門職大学

それはかっこいいですね。そのお仕事の醍醐味とは何でしょうか?

伊藤隆史

確実に目的地まで物資を輸送して、その達成感が感じられることですね。1回の船旅ごとにミッションが完結します。1つ1つが区切りです。

開志専門職大学

お仕事の中で一番楽しかった思い出は?

伊藤隆史

どれかと言われると難しいですね。どの航海も等しく大切で楽しかった仕事です。

開志専門職大学

あえて言うなら?

伊藤隆史

身近なところでは、航海士になった当時、たくさんの皆さんの手紙をお預かりして、中米の西岸まで船で運んだことがあります。

伊藤隆史

郵便は普通の貨物とは違って、メールルームという特別な部屋に保管するんです。横浜港で手紙を積む時に郵便屋さんが大きな袋に入れて持ってきて、当時、航海士だった私が直接受け取って、メールルームに大切に運びました。

伊藤隆史

そして、それをまた港に着いたら郵便屋さんに直接渡しました。皆さんの思いもお届けしたような気持ちになれて、貴重で嬉しい体験でした。

開志専門職大学

今から30年前?

伊藤隆史

そうなんです。今は船の上でもWi-Fiが使えますが、当時はメールも普通の電話という手段もなく、衛星電話のみがありましたが、それも身内の不幸など余程のことがない限りはかかってきませんでした。

開志専門職大学

陸とはほぼ音信不通になるわけですね。

伊藤隆史

そうです。私も当時は彼女だった妻とはたくさんの手紙をやりとりしたものです。

開志専門職大学

今よりロマンチックですね。ところで港を出て次の港に着くまでの最長期間は?

伊藤隆史

過去の経験では40日ですね。シンガポールを出港して、マラッカ海峡を通ってアフリカの喜望峰を通り越して、大西洋を横断し、ブラジルのアマゾン河の内陸にあるマナウスという港まで40日かかりました。

開志専門職大学

それまで一度も陸に上がらない生活なんですね。一度の航海はどれくらい続くのですか?

伊藤隆史

5、6カ月です。そして、その後、2、3カ月休みます。降りる前には「交替電報」というものが届いて、それを受け取って船を降りて家に帰って休暇に入ります。

開志専門職大学

船と言えば、一般人にとっては映画『タイタニック』が思い浮かびますけど。

伊藤隆史

いい映画でしたよね。でも、映画の中で舵を切る方向が逆でした(笑)。それから、どう考えても救命艇の数が足りないし、救命艇を海に下ろすタイミングも遅かったです。

開志専門職大学

どうしても船長目線でチェックしてしまうんですね(笑)。『タイタニック』では主人公の二人が船首で取るポースが話題になりました。

伊藤隆史

あれはやってもいいんですよ。全然大丈夫。あの映画以降、よく「タイタニックのポーズをやりたい」というリクエストを受けました。

志望動機は世界中を巡り、人と触れ合いたいと思ったから。 パイロットは苦手な受験科目で断念し、船乗りの道を選択。

開志専門職大学

船上の生活はどのような感じですか。

伊藤隆史

まず、食生活は万全ですよ。寿司も鰻もステーキ、しゃぶしゃぶも食べられます。

開志専門職大学

船員さんに日本人が多いからですか。シェフも日本人?

伊藤隆史

いいえ、乗組員はフィリピン人が多いです。シェフも日本人ではありません。長期間航海して物資を運ぶ船では、食事が一番の楽しみですから、船長としては献立に積極的に関わっていきます(笑)。

伊藤隆史

外国人乗組員もハッピー、日本人の我々もハッピーな料理を出してもらうようにしています。

開志専門職大学

家族と離れてますし、美味しいものくらい食べたいですよね。

伊藤隆史

それが家族を船に呼び寄せることもできるんですよ。特に新婚さんの場合は、船に乗ってきて一緒に過ごします。全然大丈夫なんですよ。

開志専門職大学

さて、では一体、伊藤さんはどうして船に乗るお仕事を選ばれたのでしょうか。

伊藤隆史

それは高校時代に遡ります。高校3年の時に将来を考えました。その時の私には3つの希望があったんです。

開志専門職大学

どんなことでしょう?

伊藤隆史

まず、世界中のいろんな場所を自分の目で見て人と触れ合いたいということです。それもタダで。つまり、そうできることを仕事にしたいと思っていました。

伊藤隆史

次に満員電車で通勤するような社会人生活は送りたくない。最後にネクタイは締めたくない、と。

開志専門職大学

それで船乗り?

伊藤隆史

船乗りかパイロット、に照準を合わせました。しかし、パイロットになるための大学受験には化学が必要でした。

伊藤隆史

私は化学が大嫌いだったので、物理で受験できる船乗りの道を選んだのです。

開志専門職大学

なるほど。受験科目が将来を決めたのですね。どんな高校生でしたか?

伊藤隆史

部活中心の生活でした。バレーボール部だったんですが、勉強しないでひたすら部活に汗を流す日々でした。

伊藤隆史

それからスキーにも熱中しました。一度やってみたところあまりにも面白くて、高2の最後の期末テストが終わったら、そのまま白馬に向かい、24日間、ぶっ通しで滑っていました。

伊藤隆史

3学期の始業式も休んで、3学期の最初の授業の朝にバスで戻ってきて、そのまま学校に行きました。

開志専門職大学

好きなことにはとことんのめり込むタイプなんですね。

伊藤隆史

進学先の神戸商船大学では寮生活にのめりこみました。

開志専門職大学

寮生活に?

伊藤隆史

全寮制だったんです。家が近くても通学は認められず、全員寮に入らなければなりません。1部屋に4人。4年から1年まで1人ずつ相部屋になります。

伊藤隆史

1年の時は先輩の皿洗い、身の回りの掃除となんでもやります。地獄のような日々です。

開志専門職大学

地獄!

伊藤隆史

その分、同じようにしごかれている同期との結束は強くなります。単科大学なので1クラス60人で毎日顔を合わせて、早朝訓練に始まって。

伊藤隆史

一緒に飯食って、風呂に入る日々を続けるのです。でも夏休みまでに1割は辞めてしまいます。でも、逆に夏までに残ればあとはほぼ大丈夫です。

開志専門職大学

厳しい規律を大学で学ばれたんですね。

伊藤隆史

自治寮でしたので、2年の時には自治会のメンバーに選ばれて、3年で会長を務めました。寮を運営することが面白かったです。

伊藤隆史

そして、今でも寮の仲間、特に後輩は慕ってくれています。言うことは、何でも聞いてくれますね(笑)。

外国人船員に感じた強烈なカルチャーショック。 しかし、救ってくれたのもまた彼らとの繋がりだった。

開志専門職大学

ところで、伊藤さんのように専門の教育機関に進まなくても船乗りになれますか?

伊藤隆史

私の時代は専門の大学か高等商船学校に行くことが必要でしたが、今は例えば一般の大学に進学して、船の会社に入社してからでも訓練を受けて船乗りになれます。

伊藤隆史

うちの会社も、そのような方向けに2年間の訓練期間を設けています。ですから、今は就職活動中に「船に乗りたい」と思ってから目指してもらっても遅くないんですよ。

開志専門職大学

それはいいお話を聞きました。より多くの学生に可能性が広がりますね。さて、伊藤さんのお話に戻ります。伊藤さんが日本郵船に入社された理由は?

伊藤隆史

実は船に乗れればどこでもいいと思っていました。そこで就職担当の先生に勧められるままに入社しました。

開志専門職大学

入社してから、最初にぶつかった壁は?

伊藤隆史

船に乗ると、前述のようにフィリピン人の乗組員が多く、彼らとの間にカルチャーショックを感じたことですね。

開志専門職大学

どのような?

伊藤隆史

忘れもしません。私にとっての最初の航海は、1990年12月23日に乗船したバーベナ号という貨物船でした。

伊藤隆史

三等航海士として乗り組んだ私の部屋は、がらんどうで殺風景なものでした。ベッドが1台、机の上にスタンドが1個だけ。

開志専門職大学

独房のような?

伊藤隆史

まさにそういうイメージでした。

開志専門職大学

カルチャーショックとはどのようなものだったのですか。

伊藤隆史

言葉はもちろんですが、生活習慣の違いに戸惑いました。フィリピン人はトイレでトイレットペーパーを使わないんですよ。皆、水で汚れを洗い流すんですね。

伊藤隆史

だから、トイレに水が溜まったバケツが置いてあったり、便座が濡れていたり、と日本では体験したことがないことの連続で最初の頃は戸惑いました。

開志専門職大学

紙を使わない。。。

伊藤隆史

ええ、だから日本人の乗組員だけが自分でトイレにトイレットペーパーを持ち込むんです(笑)。

伊藤隆史

あと、びっくりしたのは最初の航海の最中にクリスマスとぶつかったんですが、フィリピンの人たちは豚の丸焼きを食べる習慣があるんです。

伊藤隆史

皆が豚の輪切りを貪り食う光景を見て、あまりに日本と違うクリスマスに唖然としました。

開志専門職大学

でも、それも航海を重ねることで慣れていったんでしょうか。

伊藤隆史

いえいえ、最初の航海で克服しましたよ。言葉もうまく通じないし、習慣も違う乗組員に囲まれて、いきなり落ち込んだんですが。

伊藤隆史

しかし、逃げられないじゃないですか。海の上だから。飛び込むしかない。そうしたら死んでしまう。携帯があればいいけれど、そんなものもありませんでした。

開志専門職大学

どうやって乗り越えたのですか?

伊藤隆史

海外の人との違いに戸惑って落ち込んだわけですが、救ってくれたのもやはり人でした。一緒に生活していく仲間である彼らとの間に連帯感も生まれました。

伊藤隆史

よく考えれば「育った環境が違うのだから、いろんなことが違うのは当たり前だ」ということに気づかされたのです。

伊藤隆史

航海が終わる3、4カ月後には落ち込むこともなくなりましたね。自然と克服できました。

開志専門職大学

でも、伊藤さんとしても何か努力されたのでは?

伊藤隆史

溶け込みたいという気持ちで、英語を勉強する目的も兼ねて、英語の歌を皆の前で歌うようにしました。『マイウェイ』とかね。

伊藤隆史

それによってだんだん、カルチャーのバリアを取り除くことができたように思います。

訪れた国は100以上、船に乗っていたからこそ出会えた 数多くの感動体験。世界を舞台に働くことの面白さを伝えたい。

開志専門職大学

その後、伊藤さんは船上勤務と陸上勤務を繰り返しながら、現在はアメリカのロサンゼルスに駐在されていますが、赴任されたのはいつですか?

伊藤隆史

2015年4月です。

開志専門職大学

アメリカに対する印象は? アメリカ人は伊藤さんにはどのように映りますか?

伊藤隆史

アメリカ人には挑戦をいとわない精神を感じます。フロンティアスピリットそのものですね。やるぞと思ったことは誰にでも挑戦できる権利がある国ですね。

伊藤隆史

挑戦する人を応援してくれるし、人として成功する権利がある国だと思えます。日本では残念ながら、あまり感じられない部分です。

開志専門職大学

逆に日本人の強みとは?

伊藤隆史

規律を重んじることです。日本人本来の強みについては、高校生の皆さんには是非、新渡戸稲造の『武士道』を読んでほしいです。

伊藤隆史

これは最初にアメリカで、英語で出版され、その後、日本語になりました。

開志専門職大学

武士道にならった日本人の規律が書かれているんですね。今度読んでみたいと思います。

開志専門職大学

さて、大学の4年間でやっておくべきことをどのようにアドバイスしますか?

伊藤隆史

4年間はあっと言う間に過ぎ去ります。しっかり考え、いろいろなことを経験していただきたいと思います。

伊藤隆史

例えばフランスの大学生は17世紀の古典を読み、考える力を養います。日本の大学生も、吉村昭、山田風太郎、司馬遼太郎といった作家の本を読んでほしいし、また読書だけでなく、ボランティアに従事して社会との繋がりを作ってほしいと思います。

伊藤隆史

さらに、長い休みには外国に出て、自国の文化とは違う文化を、体で感じてほしいです。

伊藤隆史

大切なのは興味を持ち続けることです。この分野しか知らないという狭い関心ではなく、様々なことに関心を持ち、それを追求するのが、人間が人間である意味だと私は考えます。

開志専門職大学

いろんな国を旅すべきだということですね。

伊藤隆史

実際に行ってみないとわからないことというのは確かにあります。そして、一度行ったことがある国でも時間が経つと変化します。

伊藤隆史

例えばサウジアラビアはここ20年で劇的な変化を遂げました。以前は女性は目だけが見える黒い服を着て、基本的に家にいなくてはいけなかったんです。ところが今は女性に対して運転免許の取得が解禁される時代になりました。

伊藤隆史

それから大自然に触れてほしいですね。私自身が経験したことですが、マダガスカルの沖合で、尾びれだけを水面に出した大量のクジラの逆立ちを目撃したことがあります。

伊藤隆史

あれは一体何だったのだろうと疑問に思っていたのですが、クジラが昼寝をしている姿だと知りました。

開志専門職大学

世界中を船で旅するとたくさんの感動体験にも遭遇しそうですね。

開志専門職大学

では、そんな伊藤キャプテンが、特別講師として開志専門職大学でどのようなことを学生たちに教えていただけるのでしょうか。

伊藤隆史

私自身、30年前は大学生でしたが、卒業後30年かけて思いもよらない体験を世界中でしてきました。いつも途中まで数えて断念するのですが、訪れた国はゆうに100を超えます。

伊藤隆史

それでも今尚、まだ見たことのないところへ行って、やったことのない事業や輸送に携わってみたいと思っています。

伊藤隆史

少しだけ年を重ねた先輩として、世界で働くことの面白さを皆さんにお伝えできれば嬉しいです。

開志専門職大学

楽しみです!宜しくお願いします。

特別講師 伊藤隆史氏

1967年京都市生まれ。1990年神戸商船大学を卒業し、日本郵船株式会社(NYK)に入社。海上勤務及び陸上勤務として神戸支店、東京本店、フィリピンで初の外国民間企業設立、商船大学の開校に携わる。ロンドンでEU連合軍司令本部、EUNAVFORに軍民調整官として派遣され、ソマリア海賊対策を実施。さらに東京本店で自動車船輸送本部、自動車輸送品質グループ、グループ長代理を経て、2019年1月現在、NYK LINE(NORTH AMERICA)社の西部地区ディレクター。ロサンゼルス近郊在住。趣味はゴルフ。タイトルはキャプテン(船長)。

インタビュー:福田恵子
撮影:鈴木香織
動画:ジーン渋谷

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