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世界に引けを取らない日本のホテルマン魂。 青木宏一郎氏

世界中からの宿泊客を受け入れ、イベントや結婚式、会議を滞りなく開催し、またレストランやカフェで時間を過ごす客をもてなすホテルという社交の場を舞台に、30年以上にわたって働いてきた青木宏一郎さんは、現在、横浜のランドマークとも言えるホテルニューグランドの総支配人を務めています。ホテルニューグランドに移る前の帝国ホテルでは、天皇の大喪の礼や即位の礼で各国元首を迎えるという重要な任務にも当たってきました。ホテルの仕事とはどのようなものか、総支配人とは、また経験したアメリカ赴任の前と後でどのように変わったか、など様々な側面から、横浜港が見えるホテルニューグランドでお話を伺いました。
ホテルの総支配人とは、様々なスタッフの調和をもたらす オーケストラの指揮者のような仕事

開志専門職大学

青木さんは歴史がある横浜のホテルニューグランドの総支配人を務められていますが、ホテルの総支配人とはどのような仕事でしょうか?教えてください。

青木宏一郎

例えて言うならオーケストラの指揮者のような仕事です。ホテルには色々な仕事に携わっている人が働いています。

青木宏一郎

フロントマン、ドアマン、ベルマン、さらにレストランのウェイターやコックさん、建物の管理をするスタッフ、清掃のスタッフとたくさんの仕事があります。

青木宏一郎

これらのすべての仕事が機能して、お客様にとって居心地の良い空間を提供することが、ホテルの総支配人の仕事です。

青木宏一郎

ホテル内の様々な仕事をオーケストラの楽器や演奏家に例えると、その指揮を執る総支配人が最高の調和をもたらし、観客であるお客様をもてなすイメージでしょうか。

開志専門職大学

これまでで一番印象的だったお仕事はどのようなことですか?

青木宏一郎

私は1986年に大学を卒業して最初は帝国ホテルに入社しましたので、ホテル業界に入って今年で33年目になります。

青木宏一郎

これまでで一番印象的だった仕事となりますと、披露できる範囲では、平成になる節目の大喪の礼と即位の礼の時ですね。

青木宏一郎

大喪の礼は昭和天皇のお葬式で今から30年前、世界中の王族や大統領や首相などの国家元首が天皇陛下にお別れをするために130カ国以上から日本を訪れました。

青木宏一郎

また、新しい天皇の即位をお祝いするため、即位の礼の際にも同様に130数カ国から訪れました。

青木宏一郎

その際の主な宿泊先が東京にある帝国ホテルでした。それまでの100年近くの歴史においてかつてないほどの規模のお客様をお迎えして、

青木宏一郎

30数カ国の賓客を1分1秒のズレもなく、お部屋から皆様を送り出し、お車に乗っていただき、皇居に向けて送り出すと言う仕事に従事しました。

開志専門職大学

1分1秒のズレもなく?

青木宏一郎

そうです。客室のドアからエレベーターホールまで何秒、1階まで何秒、車まで何秒とすべてシミュレーション通りにスケジュールが組まれ、それを実行しました。

青木宏一郎

帝国ホテルに勤めていなければ経験できない仕事だったと思います。私はそれを30年前に大喪の礼と即位の礼で二度経験しました。

青木宏一郎

帝国ホテルに今もいたら、今年の5月の改元で、10月には3度目の経験をするはずでした。

開志専門職大学

世界の王族をおもてなしするだけでも大変なお仕事なのに、時間通りに送り出さなければいけないと言うのは相当なプレッシャーだったのでは?

青木宏一郎

はい、それはもう大きなプレッシャーでした。しかも、ホテルのスタッフだけで担当する仕事ではなく、宮内庁や外務省、警察との連携でしたから。

青木宏一郎

それでもお客様を皇居に送り出した後、各ホテルからの車の列が皇居に入る前に綺麗に1列になっていくのを上階から見た時は非常に感動しました。

大学3年生の夏休み、100万円を出して アメリカの観光業界視察ツアーに参加したことが転機に

開志専門職大学

青木さんはそもそもなぜ帝国ホテルに入ろうと思ったのですか?

青木宏一郎

海外からのお客様を迎えるホテルとして帝国ホテルが一番だと思ったからです。

青木宏一郎

大学時代にアメリカに研修旅行に行く機会がありました。その時に、世界各国の方々が宿泊するアメリカのホテルを回りました。

青木宏一郎

そして、日本だったらどこでこのような経験ができるのだろうと考えたのです。

開志専門職大学

それが帝国ホテルだったのですね。ところで、最初に海外に憧れたきっかけとは?

青木宏一郎

中学の頃でしたか、『ベストヒットUSA』という洋楽のテレビ番組がありました。

青木宏一郎

それがすごく好きで、特に司会の小林克也さんがゲストのアーティストに通訳を介さずに、直接英語で質問しているのをみて、かっこいい!と憧れました。

青木宏一郎

海外の人たちと話ができるということはなんて素敵なんだろうと思って、よし英語をちゃんとやろうと決めました。

開志専門職大学

どうやって英語を勉強したのでしょうか?

青木宏一郎

学校の英語の授業をきちんと勉強したことと、あとは洋楽をよく聴き、洋画も観ましたね。

開志専門職大学

それだけですか?留学したり、英語の学校に行ったりはしなかったのですか?

青木宏一郎

行かなかったですね。気楽な高校生活でしたからね。それに高校卒業後は就職しようと考えていたのですが、

青木宏一郎

友達に「大学には勉強に行くんじゃなくて、将来何をするか探すために4年間を使うんだ」と言われたことがきっかけになり、急に大学を受験することにしたんです。

青木宏一郎

ところが。

開志専門職大学

ところが?

青木宏一郎

いざ大学に入ったら、しっかり遊んでしまいまして(笑)。3年生になった時に初めて「このままじゃダメだ」と我に返って、将来の仕事について考え始めました。

開志専門職大学

それでホテル業界という結論が出たのですか?

青木宏一郎

まず、それまで知らなかったのですが、私が通っていた立教大学は観光学科が非常に有名なのです。私は経済学部でしたが、有名な観光学科の勉強をしてみようと思い立って、

青木宏一郎

週に3回、業界の方々が講師を務める、旅行業、ホテル業、航空関係について学ぶ講義「ホテル観光講座」を受けることにしたのです。

青木宏一郎

そんな中で、旅行代理店の方の講義もあり、旅行代理店に就職したら海外に行けそうだと、単純な理由で、旅行業界に興味が湧いてきました。

青木宏一郎

そして、大学3年の夏休み、その流れでアメリカの観光業界視察ツアーに参加することにしました。

青木宏一郎

2週間で値段はなんと75万円。旅行代金以外に費用もかかり100万円が必要で、学生の私にしたら大金でした。それでも借金してでも参加したいと思いました。

開志専門職大学

本気だったのですね。

自分から行かなくてもホテルで働けば海外の人と出会える 帝国ホテルの5回の就職面接を経て晴れて入社へ

青木宏一郎

費用面の理由からか、30人以上の参加者の中で学生は7、8人程度でした。

青木宏一郎

ふらっとハワイやロサンゼルスに行く旅行とは違って、シアトル、サンフランシスコ、アリゾナ、ニューオーリンズ、ロサンゼルス、ラスベガスのホテルを見て回りました。

青木宏一郎

シアトルのウェスティンホテルには、日本人のコンシェルジェの方がいて、ホテルに関する講義をしていただく機会がありました。

青木宏一郎

また、サンフランシスコのフェアモントホテルのコンシェルジェが、世界中のお客様をホテルで迎えている姿を見て、自分が海外に行かなくても、ホテルで働けば海外の人々をお迎えできるのだということを知りました。

開志専門職大学

それで帝国ホテルはどなたかのアドバイスで?

青木宏一郎

観光学科の教授が、学部違いで学んでいた私に目をかけてくださって、就職はどうするのかと聞かれました。その時に「リゾートホテルに就職したい」と答えたところ、

青木宏一郎

「日本の高級リゾートホテルはまだ成熟していない。オフシーズンは暇だし、元気なお前には向かない。忙しいホテルに行き、そこで経験を積んで、年を取ってからリゾートホテルに転職すればいい」と言われたのです。

青木宏一郎

だったら一番のホテルはどこだろうと考えたら、帝国ホテルだったというわけです。

開志専門職大学

まさか帝国ホテル1本で就職活動をしたわけではないですよね。

青木宏一郎

最初はそのつもりでしたが、教授に勧められて他に2社のホテルを受けました。しかし、それらのホテルから内定をいただく際に、まだ帝国ホテルの結果が出ていませんでした。

青木宏一郎

私は帝国ホテルが第一志望だと明言していたので、結局、内定をお断りして、帝国ホテルの残り全部で5回あった面接を受けました。

開志専門職大学

ダメだったらどうするつもりだったのですか?

青木宏一郎

寺に行って坊主にでもなるか(笑)、という覚悟でした。でも、自分の中で根拠のない自信があったんですね。

開志専門職大学

根拠のない自信?

青木宏一郎

そうなんです。中学から高校を受験する時も、志望校について先生に「そこに入るには君の学力では大変だよ」と反対されたことがありました。

青木宏一郎

しかし、私は先生に「これから頑張って勉強します。先生は僕の伸び代の部分を計算に入れていない。僕の人生なんだから好きな高校を受けさせてほしい」と言ったのです。

開志専門職大学

それで頑張って志望校に受かったんですね。まずは自分を信じることが大切というわけですね。

青木宏一郎

帝国ホテルに受かった時は、もちろん「やった!」とは思いましたけど(笑)。

アメリカでは「意味のない約束」は取り付けてもらえない 苦手なことはそれが得意な人に任せることも大事

開志専門職大学

入ってからどうでしたか?3年目で先ほどお話いただいた大喪の礼と即位の礼をご経験されるわけですが。

開志専門職大学

それ以外で話せる失敗などはありますか?

青木宏一郎

実はそれ、よく聞かれる質問です。失敗してないわけではないんですが、悪いことはすぐに忘れてしまうのです。

青木宏一郎

夜眠れないほどの失敗もしましたけど、眠れなかったことは覚えているけれどそれがどんな失敗だったかは思い出せません。

開志専門職大学

ポジティブな性格なのですね。

青木宏一郎

ポジティブというのでしょうか。自分ではわかりません。ただし、この仕事を辞めたいと思ったことはないです。ずっと幸せでした。

開志専門職大学

英語の失敗もなかったですか?

青木宏一郎

個人レッスンなど正式なレッスンは受けていませんから、最初の頃は現場で先輩に英語を直されました。

青木宏一郎

例えばお客様からのリクエストに対してPlease dial XXXと答えた時に「ここはホテルです。その言い方だと命令になってしまう。Would you please dial XXX?と言われなければならない」と指導されました。

青木宏一郎

先輩もまた帝国ホテルという現場で、経験に基づいて、お客様への丁寧な話し方の英語を受け継いできたのです。

開志専門職大学

帝国ホテル時代にはロサンゼルス勤務も経験されていますね。

青木宏一郎

1995年から99年、アメリカのお客様に帝国ホテルをセールスする仕事でした。

青木宏一郎

当時はニューヨークにもオフィスがありまして、ミシシッピ川を境にアメリカ全土を2つの担当地域に分けていました。

青木宏一郎

私はその西側の地域の担当で、「日本に行くなら帝国ホテル」と各地に出張して営業をしていました。

開志専門職大学

日本国内と違って苦労されたことは?

青木宏一郎

アメリカでは「意味のない約束」は取り付けてもらえないという点に苦労しましたね。

青木宏一郎

日本だったら「ご挨拶に」と言えば、大抵会っていただけます。まず「嫌です」と言う人はいないでしょう。

青木宏一郎

ところが、アメリカの方は「先日も来たけれど、何か新しいニュースでもあるの?来る必要はないよ」とはっきり断ります。

青木宏一郎

それでアメリカ人のアシスタントにどうやったら会えるかを相談しました。

青木宏一郎

まず、日本人的に「新しいニュースはないか」と真面目に考えすぎてしまうので、アシスタントの彼女に面談の約束を取ってもらうようにしました。

青木宏一郎

自分が苦手な部分は得意な人に任せるということも大事だと思います。

開志専門職大学

アメリカ生活は快適でしたか?

青木宏一郎

そうですね。滞在中の長期休みにどこにバケーションに出かけるかを嫁と相談して実行しました。

開志専門職大学

日本に帰りたくなかったのでは?

青木宏一郎

いいえ、仕事のことを考えたら、これ以上残っても同じ仕事の繰り返しだということはわかっていました。

青木宏一郎

ここで日本に帰って、アメリカで得たことを生かして次のステップに進むべきだと「アメリカ駐在は4年でいいだろう」と決断しました。

日本で迎えるお客様はここにいた! 文化、風習を理解できたことがアメリカ生活の収穫

開志専門職大学

アメリカで得たこととは?

青木宏一郎

日本側で迎えるお客様は「ここ(アメリカ)にいたのだ」ということがわかり、また、彼らの文化、風習を理解できたことは大きかったです。

青木宏一郎

例えば、アメリカで仕事をする前に、アメリカ人のお客様の会議の席に「キャンディを用意するように」と言われた時は、その意味が理解できませんでした。

青木宏一郎

「会議でなぜキャンディ?どんなキャンディ?何個?」と、すべてのことが謎でした。しかし、アメリカで働くと、その現場を実際に目にすることが出来ました。

青木宏一郎

「おお、お客様がおっしゃっていたのは、まさにこのことだったのか、これを欲しがっていたのか」ということがわかったのです。

開志専門職大学

やっぱり人は体験してみないとわからない、ということなのですね。

青木宏一郎

彼らにとっては当たり前のことが、アメリカで生活したことがない自分には「意味がわからなかった」わけですが、やっとそれがわかりました。

開志専門職大学

次に海外に出て感じた日本人の強みとは?

青木宏一郎

日本人は丁寧に細かい仕事をします。一方、アメリカ人は大雑把な傾向があります。しかし、それによって先に進めていくスピード感が異なりますね。

開志専門職大学

日本人は遅いが丁寧、アメリカ人は速いが大雑把というわけですね。

青木宏一郎

それから日本人の強みとして、相手の話をよく聞く姿勢も挙げられますね。プッシュ、プッシュではない。

青木宏一郎

私もアメリカで、英語の会話になるとスピードに付いていけなくなる時がありましたが、それでもしっかり聞くように努めていました。

青木宏一郎

一方で、こんな経験もしました。アメリカでの留学経験がある後輩と働いたことがあります。

青木宏一郎

彼らは日本的ではなく、いい意味でのびのびしているのですが、形式張っている日本の会社、それも帝国ホテルのやり方に批判的なことを言うことがありました。

青木宏一郎

そんな時、彼らは「青木さんもアメリカで働いていたから、わかってもらえますよね」と言うのです。しかし、私はこう返していました。

青木宏一郎

「わかります。わかりますが、それぞれの国の違いは違いとして受け止め、直すべきなら批判するだけでなく、どうやって改善すべきか、それを実現するチャンスだととらえてほしい。」

青木宏一郎

「ここを居心地が悪く感じたとしても、新しいところに行ってもどこにも理想的な場所などないと思いますよ。今いる場所をよりよく変えるためのチャレンジをしてほしい」と。

大学生活は人々と出会い、違う価値観を学ぶ場 自分の中の新しい引き出しを増やしてほしい

開志専門職大学

なるほど、確かにおっしゃる通りです。

開志専門職大学

それでは青木さん自身はどうして帝国ホテルから現在のホテルニューグランドに転職されたのでしょうか?

青木宏一郎

移ったのは2017年4月1日でした。大きな決断ではありました。

青木宏一郎

創立130年を迎える帝国ホテルと92年のホテルニューグランドは共にチェーンホテルではない、独立系のホテルです。

青木宏一郎

昔からホテルニューグランドは(先輩格の)帝国ホテルにいろいろなことを相談していたようです。その流れで、私の前任者の総支配人も、帝国ホテルから移って来た人です。

青木宏一郎

その方が引退する時に、ホテルニューグランドが帝国ホテルに相談し、私に声がかかったということです。

開志専門職大学

それでは、青木さんから、これから大学生になる若い人へ「大学の4年でこれをやっておいたほうがいい」ということをアドバイスしてください。

青木宏一郎

大学にはいろいろな場所から人が集まって来ます。そういう人と出会い、触れ合い、違う価値観を学んで、自分の中の新しい引き出しを増やすようにしてほしいですね。

青木宏一郎

そして興味が湧いたことの中から、将来の仕事に結びつけたいというものを探すといいと思います。そうすればきっと幸せな人生を送れる可能性が高いはずです。

開志専門職大学

特別講義では何を話していただけますか?

青木宏一郎

世界各国から訪れる国家元首、エンターテインメント関係者、ビジネス界のCEOたちをお迎えして来た中で、ホテルを舞台に繰り広げられるドラマや、

青木宏一郎

ホスピタリティ(人をもてなす)という仕事の醍醐味についてお話しさせていただきます。

開志専門職大学

楽しみです。どうぞ宜しくお願いします。

特別講師 青木宏一郎氏

1963年東京都出身。立教大学経済学部を卒業し、1986年株式会社帝国ホテル入社。1995年から4年間ロサンゼルス駐在。日本に帰任後、帝国ホテル執行役員企画部長、執行役員宿泊部長を経て、2017年4月1日より株式会社ホテルニューグランド常務執行役員営業部門統括総支配人に、2019年2月21日に同社常務取締役営業部門統括総支配人に就任。趣味は映画鑑賞、ゴルフ、フットサル、テニス。東京都内在住。

インタビュー:福田恵子
撮影・動画:梶浦政善

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